8月22日

2000-08-22 mardi

ええ、うるさい。
昨日からマンションの「大規模改修工事」が始まった。
いま中庭のタイルをばりばり壊している。昨日からずっと騒音と振動に責められている。予定では9月15日まで続くそうである。このあと足場を組んで全戸のベランダと外壁を修理する。12月まで家の中が真っ暗になるらしい。
まったく余計なことをしてくれる。
ふつうのサラリーマンの場合、出勤したあとの時間に工事が始まり、帰宅する前に終わるから、工事の騒音を耳にする機会はないだろうが、私のように家で仕事をする人間には騒音が直撃である。ああ、うるさい。学校へ行って仕事しようかしら。気が狂いそうだ。
私のような賃貸住人にとってはマンションの改修工事などというものは迷惑以外のなにものでもない。
だいたいなんでこんな時期に改修工事をするのかその理由が分からない。べつにどこも壊れてないし、外観だってきれいなもんだと思うけどね。
おそらくオーナーたちが定期的に改修して不動産の資産価値を維持しようとしているのであろう。
しかしね、家とかそういうものは時が経つと壊れてしまうものなのよ。諸行無常。空しい抵抗はやめなさい。
家を買うとか、土地を所有するとか、そういうこと自体に私はまったく興味がない。
所有することは苦しみであると考えているからである。
家を持つということは、管理し、その保全のために気を遣わなければならないものが増えるというだけのことである。自分の家が雨漏りしたり壁に亀裂が走ったり床が抜けたりしたらまるで自分の身体が壊れたような苦しみを味わうのではないか。
家というものが「拡大自我」である以上、それは当然である。
しかし家とか車とかいうモノは手に入れたときがいちばんきれいで完全で、そのあと時間がたつにつれてどんどん劣化してゆく宿命にある。だから手に入れたあとは衰微するものへの不安といらだちがだけがつのってゆくのである。
私はだからできるだけモノを所有しないことにしている。
方丈の草庵にちゃぶ台一つパソコン一台。本が数冊。縁側の外には芦屋川。庭に老松と竹林。遠景の六甲の山並にススキ。借景を賞味しつつ友と月下に琴棋詩酒を楽しむだけで私は十分である。
そういう涼しい生活を私はしたい。