8月21日

2000-08-21 lundi

朝日新聞のいしいひさいちの漫画『ののちゃん』でののちゃんが「ひえー、もう8月20日だよー」と悲鳴を上げていたが、私もいっしょに悲鳴を上げた。
ああ、どうしよう。あと数日でるんちゃんが帰ってくる。私の夢のバカンスはもう終わる。
まだ1月も休みがあるじゃないか、とあなたはいうだろう。
違うのだよ。
何度もいうようがだ、娘といっしょに暮らすということは、私の存在仕方そのものが「きちきちモード」にモード変換を強いられるということであって、このモード下にある限り、ひとはいかなる意味でも休息することができないのである。
「おーい、朝だぞー。ご飯だよー」とか寝ぼけた声を出すところから始まって、「もー、えーかげんに寝なさいよー。電気消してね、クーラーつけっぱなしはだめよ」まで、一日中ずっと私は「タイム・キーパー」の役を演じるのである。これ、つまんないの。
いまの私は、でれでれと朝寝をし、朝食後ただちに二度寝体制に入り、空腹で起きた昼食後、昼から呑んだビールのせいでぼおっと昼寝をし、空腹になって起きるとワインを呑みながらバカ映画を見て、そのままアイリッシュ・ウイスキーを啜りつつミステリーを読みつつ夜寝の体制にずるずる移行するというような生き方がオプションとして許されている。(許されているだけで実行に移すほどの度胸は私にはないが)
しかし、それが「オプションとして許されており」、私に根性さえあればそういうことをしたっていいんだよ、という潜在可能性が私の生活に大きな潤いを与えているのである。
しかし、その潜在可能性そのものが消えるということが(どうせ実現されない潜在可能性であったとしても)私を深い閉塞感のうちに沈めるのである。
しくしく。

下川先生のお仕舞いを見に、須磨までおでかけ。
海浜公園というのは、およそ薪能をやる場所としては不適切な場所である。後ろは国道二号線、前は(松林は素敵な借景なのだが)ヤンキーのお兄ちゃんたちがたむろする夜の海岸である。その兄ちゃんたちが海岸でかけているバカラップの音が漏れ聞こえてくる。『鞍馬天狗』で後ジテの大天狗が橋掛かりにでてきたところで花火が上がる。(これはグッドダイミングで思わず大笑い)。しかし『蝉丸』とか『隅田川』とかいう演目だと花火はまずいのではないだろうか。主催者に一考を期したい。
下川社中は私と小川さんしか来ていないようである。先生の『野守』に大拍手を送るという社中のおつとめをきちんと終えて、二人で三宮に出て生ビールを呑む。
話題はストレスフルな院生生活について。
私がいかにしてそのストレスフルな時代を乗り切ったかについて経験談を語る。
とにかく「そんなん、知らん」「そんな本、読んでない」「それ、誰?」「どーでもえーやん、そんなこと」というベタなガードで行くしかない、というのが私のアドヴァイス。
だいたい「みんなが知っていること」は知る努力を要さないと私は考えている。「みんなが知っていること」は「空気」のように伝播するので、勉強しなくても何となく「わかる」からいいのである。
したがって努力は「私が知りたいこと」を知ることだけに集中すればよろしい。だいたい「私が知りたいこと」は新聞とか雑誌とかには出ていないし、ふつうのおじさんたちはまず知らないことなので、いろいろと調べに工夫がいるのである。
そして、私が切実に知りたいことは、みんなが知らないことで、知る必要も感じていないことが主なので、調べがついたところで、人に話す機会というものがない。
したがって私は「***って知ってる?」というような質問を発することができないのである。
だから、対世間的には「何も知らないバカ」だと思われるリスクを負うことになるが、まあ、それはストレスを回避するコストとしては仕方がないわな、というのが私からのアドヴァイスである。
小川さんは私が手塩にかけた弟子であるので、その点、呑み込みがはやい。
「なんだ、そーなんですか。だから先生は・・・・」
「ははは、そーなんだよ。ははは」
とお気楽な師弟の笑い声は夜の三宮に響いたのであります。