8月19日

2000-08-19 samedi

仕事をしないで一日無為に過ごすことに決める。机にむかっているとときりがないからね。
朝寝して、朝御飯を食べてから、また昼寝をして、のそのそ三宮へ繰り出して『ミッション・インポシブル2』を見て、家へ帰ってビールを呑んで鰻を食べて(これは合気道会からのお中元。みなさんごちそうさま)、ワインをのみながら『踊る大捜査線』の再放送見て(ビデオにタイマー録画しておいてたの)、『屍蘭』を読みながら寝る。
実に充実した「ごろごろ」の一日でありました。
しかし、さすがに二週間近くお稽古をしないで、ごろごろと三食食べて昼寝をしていたら、でぶになってしまった。今日から心を入れ替えて稽古に励まねば。

Japan Quarterly の武道論をメールで送る。竹信編集長から「OK」がでたので、これで一件落着。
ということで、レヴィナス論の第一章「レヴィナスとフェミニズム」の執筆にかかる。
序章「レヴィナスと〈出会い〉の経験」だけで100枚も書いてしまった。フェミニズム関係も書き出すと長くなりそうである。
このあとには「レヴィナスとポストモダン」「レヴィナスとラカン」「レヴィナスとサルトル」「レヴィナスとブーバー」などの大ネタが控えている。このペースで書くと軽く1000枚を超えてしまう。(そんな厚い本誰も買ってくれない)
どうしよう。困った。
この本の「つかみ」はこんなふうに始まる。

「これはレヴィナスの研究書ではない。なぜなら私はレヴィナスの研究者ではないからである。私はレヴィナスの崇拝者である。この本はすべてレヴィナス思想の擁護と顕彰に捧げられている。」

「私は***の専門家ではない」という限定をつけて書き出す人は多い。「私なりに読み進めてきて、世にいう専門家たちとは異なる感懐を持った。その思うところをここに記しておきたい」なんてね。
こういうのはちょっと飽きたぞ私は。
かといって、私は「***の専門家である。諸君らドシロートには分かんだろうから、私が噛んで含めるように教えて進ぜよう。はい、お鳥目ちょうだい」などというのはあまり品がよろしくない。
むずかしいものである。
というわけで人文科学の分野では前代未聞の「自称弟子による師匠をひたすら讃える本」というのを書くことにした。
もちろん本人が気づかないうちにそういう本になってしまっているものはいくらもある。しかし本人がはじめからその気で書く学術書というのはあまりない。
「あまりない」ものが私は好きだ。それが自分の書く本であって、さえ。(倒置による強調)