8月18日

2000-08-18 vendredi

日比さんがお弟子さん一名をつれて来宅。
日比さんは日文研で武田泰淳の研究をしている若手の研究者。小川さんの一年先輩である。お弟子さんは阪大の一年生。(博士課程の院生でもう弟子をとっているというところが日比さんの偉いところである。)
若手の研究者のつねとして学界、論壇、文壇の旧弊陋習について激しく悲憤慷慨する。若者が憂国の熱弁を滔々と論じるのは実につきづきしいものである。
今のシステムを全部ひっくり返さなくちゃだめです、というような話は私のもっとも好むところであるが私は立場上そういうことを口にするわけには行かない(なにしろそのシステムから受益しているわけであるから)。したがって、若い方のラディカルな発言を聞いて溜飲を下げるのである。

このところ、内浦さん日比さんと続けて若い方とお話をして見て「カラタニ」というひとと「ハスミ」という人がこの世代にとってかなり規範的に(悪く言うと)抑圧的に機能していることが窺えた。
柄谷行人も蓮實重彦も、私にとっては規範的でも抑圧的でもない方々であるが(よく知らないので)、柄谷行人さんとは一回だけニアミスしたことがある。
1974年の五月祭のときに、五月祭運営委員のかわいい女の子が私のところにやってきてシンポジウムに学生代表のパネラーとして出席してくれないかと頼んできたのである。私は今も昔もお祭り騒ぎはだいすきなので、もちろん快諾した。

「で、ほかにどんな人がでるの?」
「カラタニコウジンさんです。いまうちの大学でカラタニさんと勝負できるのは私の見るところウチダさんだけですから」
「カラタニさん、て誰? それ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あ、いいです。今の話はすべてなかったことに」

ということで私は人前でバカをさらさずにすんだのであるが、それにしてもいったいあの女の子は(見ず知らずのひとでしたが)いったい、なんで私に白羽の矢を立てたのか、いまだに謎である。

日比さんは「弟子持ち院生」であるだけでなく、『群像』に批評を書いたりする若手論客でもあり、私と違って「誰、それ?」とか「え、知らんもん、そんなの」とか「読んでないの、にゃん」とか言ってフケるわけにはゆかないので、いろいろ大変らしい。
若い人にはがんばってほしいものである。