8月16日

2000-08-16 mercredi

冬弓舎の内浦亨さんと初会見。
待ち合わせはいつものように梅田の紀伊国屋の哲学コーナー前。(ここと日本文学コーナー前がもっとも人が少ないのである。)
そこで自著を手にとってへらへらしている男(短髪、長身、ごつい)がいたら、それが私です、という目印をご連絡しておいた。
ところが哲学コーナーに『現代思想のパフォーマンス』が見当たらない。探してみたが私の名前が出ている本は『観念に到来する神について』だけしかない。しかし、『観念に到来する神について』を立ち読みながらへらへらするのはいろいろな意味で難しい。さいわい、哲学コーナーには私一人しかいなかったため、内浦さんはちゃんと私を見出してくれた。(『現代思想のパフォーマンス』は書棚の裏側「思想」のコーナーに3冊並んでいた。内浦さんはそこで空しく待っていたのである。)

さっそく名刺の交換などとすませつつ生ビールで乾杯。
内浦さんがどのような経緯で私のサイトにたどりついたかについて面白いお話を聞く。
阪大を出て鳴門教育大学の助手をしている音楽学研究者の増田さんという方のホームページのリンクでみつけたのだそうである。
その増田さんのリンクを訪れてみたら、そこに一行コメントがあって、「神戸女学院大教授、内田樹氏のサイト。敢えて言う、最も正しい世界への対し方がここにある。オレはこんな大人になりたいのである。」
こ、これは凄い。
「敢えて言う」というのに妙に説得力がある。これでは内浦さんならずとも思わず読んでしまうであろう。増田さんのこの一言がご縁で本が出ることになったのであるから、増田さんにはお礼の申し上げようもない。本が出たらお送りしますから住所教えて下さいね。(増田さんのサイトもめちゃ面白かったです。「お待兼」の対談には大笑い。)
ともあれお若い方から「こんな大人になりたい」と言われて内田はいまもーれつに感激しております。
そうやって増田さん経由で内浦さんは私のホームページにたどりつき、そこで「18歳で岸田秀、19歳で蓮實重彦に出会って以来の衝撃」を受け、「私の力でこの人の本を世に出そう」と決意されたのである。
わがことながら感動的なお話である。
今度、本になるのは、内浦さんがホームページの2メガバイトのテクストの山から拾い出してくれたのは23編。戦争論からカミュ論まで多種多様なテクストが含まれている。それを内浦さんが「戦争論/戦後責任論」「フェミニズム論/ジェンダー論」「物語論/他者論」の三つのテーマ別に配列してくれた。そう思って通して読むと、なんとなく、それらしく話のつじつまが合っている。
「売れるでしょうか?」
という私の気弱な問いに、内浦さんは「大丈夫です」と声を励ましていた。
内浦さんは数年間バイトでこつこつと稼いだ出版資金を一発勝負で私に賭けるわけである。売れなくては申し訳が立たない。みんな買って下さいね。一部と言わずに二部、三部。
題名は『ためらいの倫理学』と決定。
巻末のカミュ論の題名をそのまま使い回すことになったが、私の書き物すべてに共通する「決然たる不決断」「徹底的な中途半端性」という姿勢が表現されていて、これでよろしいのではないか、ということになった。
副題は内浦さんがつけてくれるそうである。どんなのがつくか楽しみである。
原稿のFDをお渡しして、これでこの本の仕事は一段落。

あとはコリン・デイヴィスの翻訳の校正を終わらせ、Japan Quarterly に寄稿する武道論の書き直しをして、イスラエル文化研究会の原稿50枚を書き上げ、せりか書房のレヴィナス論を仕上げれば、今年の夏休みの仕事はとりあえず完了である。
大学の先生の夏休みはこのように過酷なスケジュールのもとに過ごされているのである。お昼ご飯のあとにくーすか昼寝をしたり、そのあと、カウチでごろ寝しながらBSでマルクス兄弟の映画を見たり、『踊る大捜査線』の再放送を見たりしているのはね、あれはちょっと休憩しているだけなの。