8月15日

2000-08-15 mardi

終戦記念日。
この日になると、あの暑い日を思い出す。小学校の校庭に集められて聴いた雑音まじりの玉音放送。
「ああ、これで戦争が終わったんだ」という安堵感がゆっくり身体にひろがっていった。
みたいなことを言うと「へえー」とか感心する学生がいる。
まったく簡単に人の話を信じるなよ。
この人たちからすると、1950年生まれだろうと、1940年生まれだろうと、どっちも「ジュラ紀と白亜紀とどっちが前?」的太古に属するのであろう。何を言っても「あ、むかしはそうだったんですね」で済まされてしまう。
この分では「おれの子どもの頃って、まだ検非違使庁が町内にあってさ、万引きとかするとお白州で百たたきされたあとに、おでこに『犬』とか入れ墨されちゃうわけよ」くらいのことを言っても信じる学生がいるかもしれない。
一昨日実家で老両親が珍しくTVの歌番組をみていた。NHKの懐かしのメロディ番組である。
そこに並木路子や岡本敦郎といっしょにヴェンチャーズが出ていた。なるほど「リンゴの歌」と「パイプライン」は「同一ジャンル」の楽曲として現在はカテゴライズされているわけだ。
これを見た若い視聴者には、これらの歌手たちのあいだにどれほどの時代差があるかは分からないだろう。
と、書いてちょっと気になってきた。
ほんとうに私が思っているような「時代差」が存在するのだろうか。
というのは、私は1950年生まれであるが、1960年頃にはエルヴィスを聴いており、『お富さん』(@春日八郎)とか『達者でな』(@三橋美智也)とかいう同時代のヒット曲については、リアルタイムでラジオで聴いていたはずであるにもかかわらず、その当時からすでにずっと「昔の歌」だと思っていたからである。
つまりリアルタイムで聴いている楽曲のうち、私が選択的に「同時代の音楽」と決めつけて聴いているものと、「古い音楽」として耳を塞いでしまったもののあいだには擬似的な時間差が作り出されていた、ということである。
私は勝手にヴェンチャーズは「今の音楽」で、並木路子は「昔の音楽」だと思い込んでいただけで、実はこれらは同時代の音楽だったのである。
現に、レコード発売年は15年くらいしか違わない。1985年のポップスと2000年のポップスのあいだに「時代の差」があると私は思っていない。なのに「リンゴの歌」と「パイプライン」のあいだには半世紀くらいの間隔があると思っていたのである。
人間の時間意識というのはずいぶんと主観的なものなのだ。

鈴木晶先生の電悩日記に面白い記事があったので、転載しますね。

「余談ながら、新型のパソコンをほめて、自分のパソコンの悪口を言ったりすると、怒って動かなくなる、という話はよくきく。体調がわるいときにはパソコンの調子もわるくなる、という話もきく。「非科学的だ」と言われるかもしれないが、そういったことは現実に起きるのである。精神状態がぐちゃぐちゃになったときに、なんとハードディスクがクラッシュしてしまった、という友人がいる。マックの前でお祈りをしている人もよく見かけるが(「今度こそちゃんと起動して下さい!」)、祈りは概して通じるようである。」

私も鈴木先生同様に「機械だって人間だ」という信念を堅持している。
私がパソコンやプリンターのまえでお祈りをしている姿はしばしば目撃されているが、なぜお祈りするかというと、「祈りが概して通じる」からなのである。二礼二拍一礼ときちんと手順を踏んで、私は「プリンターさま、私がわるうございました。どうか動いて下さい。お願いします」と祈祷を捧げるのである。すると、さきほどまで身動きしなかったプリンターがことことと作動しだすのである。
私が「機械には心がある」と思うに至ったのはバイクに乗り出してからである。
私はご存じのようにメカに弱い。従ってバイクの「お手入れ」ということができない。(一度調子に乗ってタイヤやチェーンを外して掃除したあと、タイヤがはまらなくなってバイク屋までずるずる引きずっていったことがある。それ以来やらない。)
だからバイクのエンジンの調子が悪くなっても私にはできることがない。そこで私は祈るのである。祈るだけではない、バイクを「愛撫する」のである。(「磨く」とも言う)。バイクのタンクを磨き上げることとエンジンの性能のあいだには何のメカニカルな関係も存在しない、とあなたは思うであろう。これが違う。ぴかぴかに磨かれ、私の愛撫を受けたバイクはキーを回すと「くるるるる」と快調な音を出して復活するのである。
雨の日や夜のツーリングで道路のコンディションが悪いとき、私は信号待ちしながら優しくバイクに語りかける。「しっかり走ってね。おいらの命は君に預けているんだからさ」するとバイクは「くるるくるる」と律儀に応えるのである。
私がバイクを「ただの機械」だと思っていた間、私はしばしば転倒し、怪我をした。
私がバイクを「人間」だと思ってからあと、私は一度も、ただの一度も転倒したことがない。(すでに15年になろうとしている。)
横から飛び出してきたベンツにぶつけられてチェンジペダルが左足に突き刺さったときも、私の愛車GB250クラブマンは怪我人(私のこと)を載せたまま必死にバランスを取り、路肩に停止して、それから息絶えた。哀号。
無生物は生きている。(と言っているが本当だろうか@竹信悦夫)