8月14日

2000-08-14 lundi

「法事」を終えて帰神(ってなかなか宗教的な語感でよろしいな)。
今年の久保山裕司メモリアル・キャンプの参加者は久保山みーちゃんと航君のご遺族+伊藤茂敏(某石油会社社史編纂室)+竹信悦夫(某高級英字誌編集長)+澤田潔(某フィルムメーカー・エグゼクティヴ)とご令息、それに私である。これに太田泰人(某美術館学芸員)と行方正佳(某銀行員)と濱田雄治(某香港商人)が加わると「東京大学蛍雪友の会」が揃うのであるが、連絡がつかなかったり、自己決定権を家人に奪われたりしていて、あとの三人は参加できなかった。
こういう集まりに来ることが出来るオジサンというのは、暇なわけではなく(現にみんなご多用中万障お繰り合わせの上のご参加である)、現実には「妻が(戸籍上ないし事実上)いない」ひとに偏るようである。

今年は例年になく天候に恵まれが。深夜に二度ほどぱらついた他はみごとな青空と星空であった。
湖水がきらめき、緑陰を透かして青空と男体山が見える。そこに無精ひげを生やしたオジサンたちがごろごろと朝から深夜まで「よしなしごと」を果てしなく語り続けるのである。
ときどきのそっと立ち上がってコーヒーを沸かし、ビールのプルリングを引き、ワインのコルクを開け、ご飯をつくり、昼寝をし、(竹信君が持ち込んだ)数字パズルに興じ、散歩しつつ、よくぞこれだけどうでもいい話題だけを選択的に語れるものだと感動したくなるほどに無駄な話を延々と続けるのである。
しかし、このいかなる功利的動機とも無縁な無駄話を自然の中で二日二晩継続することには、あきらかにリラクゼーション効果がある。
地面の上にじかに寝て、風呂にも入らず、顔も洗わずにテントからぬっと顔を出して、そのまま地べたにしゃがんでアルミの食器でずるずると豚汁を啜るような「難民キャンプ」状態がもたらす「ある種の人間としての尊厳の放棄」には言いしれぬ快感がある。
ずいぶん前から、もう年だし、雨露もきついから、キャンプはやめて温泉にでも行こうか、という提案が間欠的になされるのだが、ついに多数の賛同を得ることがない。
おそらく私たちは単純に「ほっこりする」ことや「自然を満喫する」ことを求めているのではなく、もっと積極的な「無為」の状態を求めているのであろう。

それは私たちと他のキャンパーたちのスタイルの違いで分かる。
よそのキャンパーたちは 80% が核家族で来ている。彼らは隣のテントとしっかり境界線を仕切って、自分たちの「土地」に山のようなキャンピング・グッズを持ち込んでくる。4畳半くらいもある巨大テント、まばゆいばかりの照明、かさばるリビングセット、火力の強いガスコンロ。
彼らがキャンプサイトに大荷物を持ち込むのは、そこで「ふだんの生活と同じように暮らす」ためである。
どうしてふだんの生活と同じようなことを山の中にまで来てしたいのか、それが私にはよく理解できない。
この人たちは、わざわざキャンプ場までいつものメンバーで、いつものように暮らすために来ている。だから、さっぱり楽しそうではない。無言でもそもそとご飯を食べて、それがすむとすることがないので、(TVがないから)8時ころにはみんな寝てしまうのである。
みなさんがつまらなそうであったり、早く寝るのはいっこうに構わないのであるが、私たちは「非日常的キャンプ」に来たせいで異常にはしゃいでいるから、8時から寝るわけにはいかない。夜が更けるにつれ、ますます調子が出てきて、大爆笑を重ねていると、毎年近隣のキャンパーから「うるさい! 何時だと思っているんだ」とどなりつけられる。(今年も怒られた)
まったくはた迷惑な連中である。
そんなに静かに寝たいなら、家に帰って、自分の寝室で寝なさい。
私たちのような二家族以上の合同キャンプという形態をしている人たちは、ほとんど見かけない。学校や職場の仲間同士のキャンプというのも少数派である。
「核家族」の天下である。
正直に言わせてもらうけれど、核家族で行動する人たちは周囲から見るとあまり感じが良くない。
夫婦ふたりとか親子ふたりとかいう単位で行動する人たちには、ある種の「開放性」があって、隣の人と気楽におしゃべりしたりするのだけれど、夫婦と子どもという単位になると、とたんに排他的な集団になってしまう。そこだけ自閉した空間がつくられてしまい、まわりは「他人」、他人は潜在的には「敵」、というようなバリアーが張られてしまう。
そのバリアーを外から感じるのも不愉快であるが、内側にいる閉塞感もずいぶん重苦しいのではないかと思う。
核家族というのはもはやその歴史的使命を終えた制度ではないのだろうか。(一夫一婦制もね)