7月27日

2000-07-27 jeudi

インターネット・バンキングで家賃を払い込んだら、残額が4800円しかなかった。給料が出て一週間で4800円しか残っていないというのはいったいどういうことなのであろう。どこにもゆかず、家で本を読み、道場でお稽古をしているだけなのに、どうしてお金が飛ぶように失われるのであろう。よく分からない。
日本のサラリーマンの平均貯蓄額は750万円ほどだそうである。私の貯金の3倍である。どうやって貯めているのであろうか。想像もできない。
私は外食をしないし、当然、外でお酒を呑むこともほとんどない。競輪競馬パチンコ麻雀その他の遊興は一切やらない。バーもいかないし、お茶屋遊びもしない。食い道楽でもないし、着道楽でもない。収集品もないし、「これにだけは金を惜しまない」というような固着の対象もない。
それにもかかわらず平均的サラリーマンよりも貯金が少ないというのはどういうことなのであろうか。
あ、収入が少ないからか。(これは盲点だった)
なんだ。私は浪費家なんかじゃなくて、ただ貧乏なだけなんだ。
ほっと一安心。

昨日自分で書いたことを読み返しているうちに、数年前「三和総研」というシンクタンクがうちの大学の財政再建策を答申したバカなレポートのことを思い出した。
三和総研は調査費2000万円をかけておいて、そのレポートの中でたしかに真実であると思われるのは「この大学は財務内容がよろしくない」ということ指摘だけだった。(そんなことはみんな知っている。)
それ以外のレポート内容はまったくのスペキュレーションでたぶん三日くらいで書き殴ったようなものだった。
その中でもっとも愚劣な提案は、「この大学の校舎は老朽化し、キャンパスが汚いので、この土地を売り払って、三田あたりに近代的な校舎を建てたほうが学生が集まる」というものであった。
本学の「うりもの」は阪神間というロケーションと、ヴォーリズ設計の南欧修道院風校舎と「日本一きれいな」岡田山キャンパスである。アクセシビリティとか緑の深さというようなものはたしかに数値化しにくいものだが、これを「ゼロ」査定したのである。(ゼロどころか「こんな校舎は管理に金がかかるだけで、むしろあるだけマイナスですよ」と総研の主任研究員は私に言った)そのあと大震災があって、築70年の「ぼろ校舎」がびくともせず、70年代以降に建てられた「近代的」校舎が簡単に壊れてしまったのは記憶に新しい。
大学のどういう点が志願者にとってアピーリングであるか、というような基礎的なことについてこれほど勘違いしている人間が「大学の行くべき道を示しましょう」とは笑わせる。
実際、このレポートが読み上げられた大学教授会の席で、私は机を叩いて「なめんなよ、金返せ」と怒鳴ってしまった。(私はその年の組合の委員長だったので、総研の研究員のヒアリングを受けて、その手抜きな仕事ぶりには怒りが深かったのである。)
雛壇に並んだ研究員たちは蒼白になっていた。(世間知らずの大学の教師たちに「かみ砕いて世情についてお教えして進ぜよう」というような顔つきでこいつらは乗り込んできたのである。)
それと同じ頃、三和総研が香川県の沿岸地域一帯の工場の環境に与える影響についてのアセスメントを2000万円で請け負ったという新聞記事を読んだ。(限定的な項目についてではあれ)香川県一県についての調査と神戸女学院の財務内容についての調査が同額というのは、いくらなんでもあまりである。
私は大学というものを「世間」が心底「なめている」ということをそのときに知った。
そしてたしかに「なめられても」仕方がないくらいに「大学人」というのは世間知らずなのである。
その使いものにならないレポートを学院は2000万円で買った。
そのレポートに基づいてそれから3年くらい「財政再建委員会」というのが理事長の主宰で開かれていた。(私もメンバーだった)その委員会で使った「資料」は、結局経理課が作った学院の財務関係のデータだけだった。キャンパス移転、男女共学などを含む三和総研の「提言」は、ついに一回もまともに議論されることがなかった。
こういうのを「金をドブに捨てる」というのである。