7月21日

2000-07-21 vendredi

96年卒の入谷さんの結婚披露宴(大阪ヴァージョン)が北新地のバー・ラウンジである。真夏の昼間にフォーマル・ウェアで北新地に集合するというのも参加者にはやや酷な趣向である。(暑かった)
結婚式は先週イギリスですませていて、披露宴を東京と大阪で二度やるのである。
社内結婚なので伊藤忠の若い諸君と女学院のOGたちが群れ集っている。次々と見知らぬ若い女性から「内田先生?」と声を掛けられるが、ほとんどアイデンティファイできないのでへらへら笑っている。
ゼミ生は4名参加:石森千恵、石橋敬子、仲谷桃子、増澤理奈(敬称略)石森さんは長駆島原から。ほんとにこういうことにはフットワークのよい人である。うちのゼミは宴会ごとには「い」のつく人の集まりがよいのであるが、「いとうさん」は今回欠席。(「いりたに」さんは新婦ご自身)寺田玲さんは東京の方に出るそうであるが、あとの諸君はどうしたのであろう。みんなー、元気かー。
入谷さんは元コーラス部部長なので、コーラス部の諸君のコーラスがある。ほんとにうまいものである。いまや部員急減で存亡の危機だそうだけれど、ぜひ持ち直してもらいたい。
とてもアットホームでよい感じのパーティでありました。ご多幸をお祈りします。

散会後、ゼミ生たちとリッツでお茶をする。みんなそろそろ三十路が近づいてきて、話題はひとしきり「結婚」のことになる。
「男にはいろいろ種類があるが、夫には一種類しかないから、誰と結婚しても同じである」というがの私の持論なので、あれこれ迷わず最初に「ご縁」があった人と結婚しちゃいなさいと意見する。
私も結婚というものをしたことがあるので分かるけれど、「夫」というのはほんとうに限定的な役割である。選択できるオプションとしては「優しい夫」と「えばる夫」の二種類しかなくて、後者はスクリーニングの段階でだいたいはねられてしまうので、結局一種類しか残らないのである。
男の底の抜け方、桁のはずれ方にはいろいろなかたちがあり、それなりにカラフルなのであるが、「男の優しさ」にはさしたるヴァリエーションがない。結婚記念日に(デビアスに騙されて)ダイヤモンドを贈ったり、誕生日に花を贈ったり、一度しか着なかったドレスのローンを払い続けたりするだけのことである。
しかし、妻たちは、その種の完全にカタログ化された「男の優しさ」というものを要求して止まない。
「だじゃれを間断なくかます」とか、「メニューの選択がすばやい」とか、「麻雀のまけっぷりがよい」とか、「わび方が堂に入っている」とか、「ためらわず金を貸す」とかいう男の世界では「美質」とされるところを見込んで結婚する女性は存在しない。
だから「妻に尽くす夫」「思いやりのある夫」はたくさんいるが、「愉快な夫」というものが出現してくる可能性は構造的にはあまりないのである。(『ライフ・イズ・ビューティフル』では「でまかせばかり言っている男」を面白がって結婚してくれる女性が出てくるが、あれは男性の願望であって、そんな奇特な女性はこの世に存在しない。)
それとは反対に、世の中には相手の女性が「わがままでエゴイストで浪費家で性格が悪い」からという理由で結婚してしまう男が少なからず存在する。(愚かにも「私が愛の力でなんとか真人間にしよう」というような神をも恐れぬ夢を抱いたりするので、死ぬような目に遭うのである。)
こと結婚に関しては男の愚かしさには程度の差しかない。
だから、諸君、誰と結婚しても基本的には同じなのである。


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