7月17日

2000-07-17 lundi

ひさしぶりにまるオフの日が二日続いたので、ばりばりと翻訳を仕上げる。
コリン・デイヴィスの残りの脚注が終わって、校正をまとめてやる。
これは初稿のまままったく推敲していない原稿を中根さんに「ぼく、ちゃんと仕事してますよ」ということを証明するためにメールで送った「アリバイ」ものだったのだが、それを中根さんがあっという間にDTPで版を組んでしまって「初稿」がいきなり「初校」になってしまったものである。
したがって文章があまり練れていないし、リズムもよくない(ところがある)。
いじりだすときりがないので、それについてはほおかむりである。
不思議なもので、通読すると、けっこうノリのいい訳文のところと、なんとなくダレているところがある。原著は非常にタイトでスピーディな文体だったから、これは私のそのときどきの体調が文体に反映してしまったものであろうと推察される。
調子がいいと、原著者の思考の流れに同化できて、絶好調だと「その次」に何を言い出すかが予想できたりする。
調子が落ちると、同化がはかどらないので、論理の流れに「ドライブ感」がなくて、二回くらい読まないと何が言いたいのか分からない。これはよろしくない。
しかし、通読してみて思ったけれど、これは良い本である。
デイヴィスの本はこれまで私が読んだ中では間違いなくいちばん「冷静な」ひとによって書かれたレヴィナス論である。
デリダとイリガライによるレヴィナス批判に「かちん」と来たらしいのは私と同じだが、私のように「ぐやぢー」というふうに感情的にならず、クールに批判の掬すべきところをきちんと聞き取っている。(えらい)
特にレヴィナスのテクスト実践の分析は訳しながら、思わず「賢い・・・」とつぶやいてしまうほどクリアーカットであった。この分析はこれまでのどのレヴィナス論より説得力がある。
みなさん買って下さいね。

読んでいるうちに急に私もレヴィナス論が書きたくなってきて、いきなりばりばり書き出す。
どうやら「師弟関係」と「テクスト」と「女性論」について、「いいたいこと」が私の中にあるらしい。何が言いたいのか、まだ本人にも分からない。
レヴィナスの女性論は『全体性と無限』の「エロスの現象学」がイリガライによって「父権制的思考」と断罪されて以来、「レヴィナスの弱点」というふうに見なされてきている。この点については「ま、レヴィナス先生も、しょせんは男だってことだわな」という解釈が優位であるのだが、私はなんとなく釈然としない。いいたかないけどレヴィナス先生の思想のうちにイリガライ(ごとき)に批判される点があっていいはずがない。きっと深いお志があって、あのような「一見」父権主義的なお言葉を口にされているに違いないと私はくやし涙にくれているのである。
というわけでソーカルに「きわめつけのバカ」とイリガライが名指されたときは思わず拍手してしまった。(江戸の敵を長崎で)
ともかくこのレヴィナス論が書き上がると、私の「武道教育論」と「テクスト=映画記号論」と「ジェンダー論」のすべてがひとつのフレームワークにおさまる(本人にとっては)包括的な理説ができあがるのである。あるいは単に「バカが自己完結する」ということであるのかも知れず、予断は許されない。

オフなので、毎晩映画を見る。
『マトリックス』をDVDでもう一度見る。
二度見ても素晴らしい。
クローネンバーグの『クラッシュ』をまた見る。
二度見ても素晴らしい。

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デボラ・アンガーが非常によろしい。ローレン・バコールとか、シャーリー・マクレーンとか「目と目のあいだが離れている」女優に私は幼少期から偏愛を示してきた。あのなんとなくとりとめのない空間に「ブラックホール」があって吸い込まれるような気がしてどきどきする。

AVライブラリーに『クラッシュ』のDVDを「寄贈です」ともっていったら「X-rated」なので一般公開できないのではないかと言われてしまった。そういえば「ナイン・ハーフ」も「アイズ・ワイド・シャット」も「子供には見せられない」というので隠してあるらしい。
しかしそれらがどういう基準で「こどもにみせられない映画」というふうに判定されているのか、私にはよく分からない。(だいたいうちの学生たちって「こども」なの?)『ナイン・ハーフ』という映画はみてないが、『アイズ・ワイド・シャット』も『クラッシュ』も「性的幻想とはどういうものか」ということを学習する上ではたいへんすぐれた教材であるように私には思えるのだが。

ブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』をまた見る。
性同一性障害者の殺人鬼というのは、いまだったらあまりにもポリティカリーにインコレクトだから上映禁止だろう。
しかし、「ポリティカリーにコレクトでない映画」ということで「こどもにみせない」ことにすると1980年代以前のハリウッド映画はぜんぶ上映禁止だな。(最後にキスシーンでハッピーエンドというのは全部「セクシスト」映画だからね)見られるのはスパイク・リーと陳凱歌とゴダールくらいかも。(アートフィルムは「ポリティカリーに何を言っているのか」さっぱり分からないので、こういう弾圧には強そうだ。)

オフなので、娘としみじみ来し方行く末について対話する。
18で自立して東京へ行き、日本全国を放浪し、20までに漫画家としてデビューを果たし、ロックミュージシャンとしてもがんばりたいそうである。はたちまで仕送りすることを約束させられた。大学に行くことを考えたら安いものである。
私ほど恵まれた環境で育っているものはいないと娘に言われて、ほろり。
君、ほんとに親孝行ね。
夜が暑いので、るんちゃんから桑田乃梨子の漫画を大量に借り出して寝しなに読む。
『ぴんぽんファイヴ』の紅君とか『恐ろしくて言えない』の桐島君とか「何も考えていない少年」を造型する桑田の才能は素晴らしい。その「何も考えていない少年」に同化してくーすか眠る。