7月2日

2000-07-02 dimanche

斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を読む。

セーラームーンとかナウシカとか綾波レイとかGS美神とかパトレイバーとかそういうものが好きで仕方がないひとたちの話である。
斉藤さんは精神科医で、彼自身ディープな「おたく」としての立場から「おたく」のみなさんの精神病理を暖かいまなざしで分析している。
これを読んでいまさらながらに分かったことは、私は「おたく」というものの対極にある人だということである。
それは、アニメとかマンガとかフィギュアとかコスプレとかに淫することがない、ということではない。(ふつうのおじさんはあまりそういうものには淫しない。)
そうではなく、私にはそもそも「淫するもの」がない、ということである。
斉藤さんはこの本の中で「おたく」と「マニア」の見分け方というものを提唱している。ちょっと引用してみる。

「このふたつの『共同体』の差異は、まず彼らが何を愛着の対象とするか、その選択の段階であきらかである。こころみに、それぞれの共同体が対象に選ぶジャンルを具体的に列挙してみよう。

-おたく的対象物
アニメ、TVゲーム(ギャルゲー中心)、ジュニア小説、声優アイドル、特撮、C級アイドル、同人誌、やおい、戦闘美少女。

-重複可能な対象物
鉄道、パソコン、映画、漫画、B級アイドル、SF、アメコミ、オカルト、ラジオライフ、警察もの、プラモデル、模型

-マニア的対象物
切手収集、書籍(ビブリオマニア)、オーディオ、カメラ、天体観測、バードウオッチング、昆虫採集、音楽全般、その他収集関係全般。」

この中に、私が「愛着」しているものは一つもない。
比較的「コレクト」しているものとしては、書籍と映画と音楽、というところだろうが、私はまずどのような意味でも「ビブリオマニア」ではない。
私は本をどんどん捨てるし、そもそも本をほとんど買わない。
鈴木晶先生は最盛期には一月100万円ペースで本を買ったそうであるが、私のこれまでの自己記録はたぶん一月3万円くらいである。
もちろんいまは研究費というものがあるので、どんどん買うけれど、「自分で買え」といわれたら、ほとんどを発注取り消しにしてしまうであろう。
鈴木先生のは自前である。すごい。

私は自分の家に同業者を呼ぶのがあまり好きではないのだが、それは彼らが私の書棚をみて仰天するからである。
「内田さん、本、これで全部?」
「うん」
「これだけ?」
「うん」
「どっかに隠してあるの?」
「ううん」
「ほんとに、これだけで論文書いてるの?」
「うん」

私はよく人々に「私は1のインプットで5のアウトプット」と言っているがそれは冗談ではないのである。
加藤周一は人も知る読書家で、「こんなに本ばかり読んでいては本を書くひまがない」と嘆いておられたが、私は「原稿ばかり書いているので、本を読んでいるひまがない」のである。
だから引用するときはけっこう大変なのである。「たぶんデリダはこんなことを言っているはずだが、さてどの本に書いているのかしら」というようにあてずっぽうで本をめくって「おお、びったしのがあった」というふうにして賢しらな引用をするのである。ずるこい。
まあ、そういうわけだから私のことを「学者の風上にもおけない」と思っている人は実はたいへんに正しいのである。ごめんね。

とにかく私はビブリオマニアではぜんぜんない。
大学生のころまでに読んでいた本でいま手元に残っている本はたぶん20冊くらいである。(あとは全部古本屋に売ったか、ゴミに出した。)その中にはいまにしておもうとずいぶん貴重な本もあったはずであるが、まあ仕方がない。本は重いしかさばるからね。
だからもちろん「全集」というものはひとつもない。(あ、ひとつだけあった。創元文庫の『エドガー・アラン・ポー小説全集』。これ文庫本で4冊だから)

映画もコレクションというようなものはない。「これは全部揃ってるぞ」とえばっているのは、「眠狂四郎全12巻だけであるが、これは私が買ったというより、小川さんが「買って」というので仕方なく揃えたのである。
ほかには小津安二郎のヴィデオが何本かあるが、「何本かある」という程度のものでとてもコレクションとは言えない。
それ以外は全部借り物である。
映画をダビングしたテープは芦屋から引っ越すときに重いからほとんど捨てた。

音楽関係もすごい。モーツアルトが5枚に矢沢永吉が2枚、竹内まりあが2枚にキリテ・カナワが1枚、キース・ジャレットの隣に安全地帯というような「大衆食堂」的な配列で貧しいCDが並んでいる。(これも見た人は「ふへ」と吐き捨てるような感想をのべるだけである。)(テープはけっこう充実しているが、これは石川茂樹君という偉大なコレクターが私のあまりに貧弱なリソースを哀れんで定期的に贈り物をしてくれるからである。)

その他、私がこれまで「コレクトした」ものは何もない。
小学生の頃、切手収集はアルバムが数頁うまったところで止めたし、アトムシールも5枚くらいたまったところで誰かにあげてしまった。「アイドルもの」というのはかつて一度も所有したことがない。
若いころは、「これではいかん」と思って、何かに「はまろう」と思ったこともあったが、結局何にも興味が持続せずに終わった。

とくに駄目なのはメカ系である。
男の子はカメラとかオーディオとかバイクとかコンピュータとか、そういうものに激しく淫する時期があるはずなのだが、私はついにそのような経験をしないままに老境を迎えようとしている。

私はいま「スバル・インプレッサWRX」というけっこうマニアックな車にのっているのだが、別にカー雑誌を読んで「おお、これだ」と選んだのではなく、たまたま車を買おうかしらと思っているときに、となりの床屋のモロタ君が「WRXのワゴン、最高っすよ」というのを聞いて、「ふーん」とそのまますばるのディーラーに行って「WRXのワゴン下さい」と買った。色は何がいいですか、というので、あるやつでいいですということでシルバーになった。
マニアックな味付けがしてあるエンジンらしいが、私はこれまで(買ってから4年間)一度もボンネットをひらいたことがない。
買ってから2年くらいして、ガソリンスタンドで「すみません、ボンネット開けて貰えますか?」と言われて、どのスイッチだかわからなくて、「すみません、ボンネットってどうやって開けるの?」と尋ねて仰天されたことがある。

パソコンも最初の98から数えてもう8台目くらいだけれど、全部壊してしまった。
別にあれこれカスタマイズして壊したのではなく、簡単なソフトのインストールを間違えて、作動不良になったのをそのまま捨ててしまうからである。
その私がインターネットでホームページをひらいているので、大学ではPCにうるさい人だと誤解されているのだから大笑いである。
私がPCや周辺機器のマニュアルを読まないのは、別にそういうプリンシプルを持っているからではなく、ほんとに「読めない」からである。読んでも一行も理解できないのである。ただのバカである。

この「はまらない」傾向は私のこれまでの生き方全般を領している。
大学でフランス文学科に行ったのは、「フランス語が好き」だからではなく、「フランス語ができなかった」からである。あまりにも教養のときの点が悪かったので、なんだか気が咎めて、いちおう大学出るまでに動詞の活用くらいちゃんと覚えておこう、と思って仏文科に行ったのである。(そんな理由で仏文学者になったやつはあまりいないと思う。)
合気道を始めたのもごろごろしていたらデブになってきたので、すこし運動しようかと家からいちばん近くにあった町道場に何も考えずに入門したのである。
さいわい、すばらしい師匠に出会ったおかげで25年も合気道を続けているが、これはすべて偉大な師匠とフレンドリーな先輩たちのおかげであって、私に武道を志す鉄の意志やひとなみすぐれた才能があったわけではぜんぜんない。(これは自信をもって断言できる。)
武道関係のホームページにいくつかリンクをはって頂いたので、あちこちのぞきにゆくが、そのコアな「はまり」方にはいつも驚かされる。私にはとうていまねのできないことである。

居合をはじめてしばらくして日本刀を買った。言われるままに150万円の江戸時代の刀を買ったのである。家に持ち帰って振り回したら、天井にぶつけて「ごり」という音がして、先端が2ミリくらいかけてしまっていた。
「あら」とそのままにしておいたら、しばらくして刀を見た人がびっくりしていた。
「どうしてこんないい刀を傷つけたままにしておくんですか」
「別にこれでひとを殺す訳じゃないから、いいの」
とほうったままにしてある。
こういうのは日本刀フリークの人が聞いたら怒りで血圧があがるだろう。

私が収集することにもっとも熱意がなかったものは「お金」であるが、不思議なことにというか当然にもというか、そのせいで私はお金で苦労したことがない。(だって要らないんだもん)
しかし、齢知命に至って、貯金が300万円、資産ゼロというのもあまりといえばあまりである。

と、まあかように私はこれまで半世紀、なにものにも「はまる」ことなく、あらゆる「コレクション」、あらゆる「マニア」、あらゆる「フェティッシュ」とまったく無縁な日々を送ってきたのでありました。
いわば「マニアック」になることを「マニアックなまでに」忌避してきた、ということが私の偏向ということでしょうか。