6月28日

2000-06-28 mercredi

大学院の演習で高橋哲哉の『戦後責任論』を扱っているというはなしを先週書いたけれど、今週もその続き。
いろいろ論じているうちに、やはりかなり深い問題をはらんだテクストである、ということになった。
理由はいろいろあるけれど、加藤典洋をして「鳥肌が立つ」と言わしめたものは何か、ということが今回の読解で少し分かった。
いま、「従軍慰安婦問題」というものがある。
これを高橋は、アジアの民衆が、植民地支配と戦後責任の回避によってぬくぬくと肥え太ってきた日本人のひとりである「自分につきつけられた問いかけ」というふうに受け止め、それに誠意をもって回答することが「応答責任」(responsibility) である、と考える。
回答が適切であったかどうか、それは「問いかけるもの」が決定する。(たとえ、一生懸命「答えた」としても、「努力が足りない」とか「反省が足りない」という査定をされる可能性は残る。)
これはかなりストレスフルな社会的なポジションのとりかたである。
もちろん、そういうストレスフルな立場をとることを避けられない場合が人生にはしばしばある。
そのきつさは何かに似ている。
一番似ているのは、そう。「受験」である。
「受験生」というのは、「設問があって、それに回答すると、その適否を誰かが採点してくれる」という「原信憑」のうえに構築された人間のあり方のことである。
広義での「受験生」は学校だけにいるわけではない。
企業における勤務考課(「来月の売り上げ目標をいかにして達成するか?」)も、文壇における文芸批評も(「真に新しい文学とはなにか?」)、ある意味では「受験生」的エートスの培養地である。
マルクス主義がドミナントな知的態度であった時代には、あらゆる社会問題に対して「階級的に正しい回答」というものがあるという信憑が共有されていた。査定は「どの回答がいちばん革命的か」というしかたでなされた。
大学生だった私は、つい先日まで「誰がいちばん偏差値が高いか」を競っていたメガネの受験生たちがわずか数ヶ月で、「誰がいちばん革命的か」を競うようになり、それに本人たちがまったく違和感を感じていないことにいらだちを覚えた。
私は高校生のころに「内田、その高校生らしくない態度は何だ」と教師に査定されることが大嫌いだった。だから、もちろん大学生になっても「内田、そのプチブル的生活態度は何だ」と党派の兄ちゃんに査定されるのも大嫌いだった。
おい、革命するんじゃないのかよ。
参考書の代わりにマルクスを読んで、学ランの代わりにメットにタオルで、模試の代わりにデモに行って、偏差値の代わりに「革命性」を競うんじゃ、まるで高校の時と同じじゃないか。
「革命性なんてものを誰かに査定されるのは、おいらまっぴらだよ」と言ったら、高校を放逐されたのと同じように、私は党派政治の世界からも放逐されてしまった。
もちろん、当然のように党派の兄ちゃんたちはそれから二年もすると、みんな坊ちゃん刈りにして一流企業に就職していった。
きっと面接では素晴らしく好感のもてる応答をしたのだろう。
なにしろ「査定される」ことが大好きな連中なんだから。
世の中には査定されるのが好きな人がいる。
とくに、「いい点をとる」ことに慣れている人、「いい点をとること」ができる人は、査定されることを厭わない傾向がある。
私は「査定」されるのが大嫌いである。
それは私の回答がいつもひどい点しかつけられなかったからではない。
誰かが「適正に採点してくれる」ということを私は信じていないからである。
何を隠そう、私は受験生としてはすばらしく要領がよかった。
現代国語の問題などでは、瞬時のうちに出題者が「どういう答を書いて欲しいか」を読み当てて、すらすらすいすいと心にもないことを書いて満点をとることができた。
17歳くらいのこどもに下心を読まれる出題者のことを「バカだ」と私は思っていた。
当然、「バカ」が出題する教科ほど私は高い点数をとった。
要するに、「査定」型の知力トレーニングというのは、「どういう答えをすれば、だれがどういうふうに喜ぶか」を見透かせるようなタイプの知性の涵養に役立つだけだ、ということを私は学んだのである。(しかし、バカにはできないもので、結婚生活から営業活動まで、世の中のほとんどの場面は実はこのタイプの知性だけでやり過ごせるのだということまでは高校生の私には考えが及ばなかった。)
とまあ、そういう屈折した(というほどでもないけど)子ども時代を送ったせいで、私は「設問と回答」形式で考えたり、私の回答を誰かに「査定」されることを想像しただけで「鳥肌が立つ」ようになった。(だから結婚生活にも失敗したし、サラリーマンとしてもろくな仕事ができなかったし、研究者としての業績はどれも「評価になじまない」ものばかりだった。)
高橋哲哉の戦後責任論に、私はこの「査定」になじんだ知性のようなものを感じてしまった。
それについて書く。

応答責任ということについて高橋はこう書いている。

「すべての人間関係の基礎には言葉による呼びかけと応答の関係があると考えられます。(…) あらゆる社会、あらゆる人間関係の基礎には、人と人が共存し共生してゆくための最低限の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答するという一種の『約束』があることになります。(…) 応答可能性としての責任とは、私が自分だけの孤独の世界、絶対的な孤立から脱して、他者との関係に入っていく唯一のあり方だといってもいいのではないか。」

この部分に私はまったく異論がない。おっしゃるとおりだと思う。
ただし、私がここで「呼びかけ」というときに考えているのは、純然たる「よびかけ」(「やっほー」というような)であって、「査問」とか「召喚」とかいうような法制的なニュアンスはない。
しかし、高橋にとっての「呼びかけ」はどうもそういうフレンドリーな感じのものではないようである。それはむしろ誤答を許さない「口頭試問」に似ている。
彼に聞こえるのは「戦争とか、飢餓とか、貧困とか、難民問題とか、そのほか世界中で苦しんでいる人々の叫びや呻きや呟き」であり、「90年代になって続々と名乗り出てきたアジアの被害者たちの証言」であり、「元『従軍慰安婦』をはじめとするアジアの被害者たちの訴え」であり、それは具体的には「『慰安婦』問題の刑事上の責任者を処罰せよという告発状」というかたちをとって、「(戦争犯罪の)刑事責任を果たすように、つまり裁きに服するように呼びかけられており、日本政府はそうした人たちの刑事責任を追求する、つまり彼らを裁くように呼びかけられている。そして日本国民はその裁きを実現すべく努力するよう呼びかけられている」ことに収斂してゆく。
高橋がそのような呼びかけを選択的に聞きることは高橋の感受性の問題であって、私はそれについては別に異存はない。
誰だって、あらゆる呼びかけに等分に応答することはできない。
当然にもそこには選択があり、優先順位があり、可聴音域には個人差がある。
耳を澄ますと「南極のペンギンの悲鳴」を聴き取ってしまうひともいるだろうし、「熱帯雨林の痛み」を感受するひともいるだろう。私のように「日本のとほほなおじさんたちの泣き言」を選択的にきいてしまう人もいるだろう。
そのようにしてい、ひとはそれぞれ自分の聞き得た呼びかけにそれぞれの仕方で答えるほかない。
これは原理的には個人的なセンリビリティの問題であると私は思う。
しかし、高橋が自分の聞いた呼びかけは例外的に「日本人」全員が聞き取るべきものである、と言っている点については簡単には同意できない。
高橋はこう書く。

「補償問題を含む法的責任の問題こそが、日本の戦後責任にかんして、日本人が『日本人として』引き受けるべき政治的責任のもっとも明瞭な部分につながっているからです。日本人が日本人として引き受けるべき、引き受けざるを得ない政治的責任です。」

これは政治的なひとつの私見である。
私は高橋のこの私見にはじゅうぶんな論拠があると思う。にもかかわらず、これが「日本人として」引き受けなければいけない政治責任である、というふうに「一般化された当為」として語られると、私はその議論を受け入れることができない。
いかなる呼びかけを聞くのか、それは聞き取る側の感受性の個人差にかかわっている。
高橋自身も同じテクストのなかで、呼びかけの聞き取りが選択的なものであることを認めている。

「一方には『英霊の声なき声をきけ』という靖国派の呼びかけもあるわけですが、どの呼びかけに、どのように応えるのか、それが私たちの自由に属する選択、判断なのです」

と、たしかに高橋は書いている。
「アジアの民衆の声には耳をふさいで、英霊の声なんかばかり聞いて、なんてひどい人なんだ」と怒る権利は高橋をふくめて誰にでもある。
しかし、いかに愚劣であろうとも、そのような政治的な選択、判断は、そのひとの「自由に属する」。私たちはそれを(いやいやでも)尊重しなければならないと私は思う。
しかし、高橋はそのような「政治的に誤りうる自由」を認めてくれない。

「在日朝鮮人(韓国籍)の作家徐京植氏は、『日本人としての政治責任』から逃れようとする日本人に対して、こう述べています。日本人が日本人としての政治的責任から逃れられるとすれば、それはそのひとが『長年の植民地支配によってもたらされた既得権と日常生活における〈国民〉としての特権を放棄し、今すぐパスポートを引き裂いて自発的に難民となる気概を示したときだけ』である。とても鋭い批判です。」

ちょっと、待ってほしい。これは「鋭い批判」などというものではない。
これは「恫喝」である。
「日本人としての政治的責任」というのはきわめて範囲のひろいものであり、さまざまなかたちがある。徐さんが「日本人は私のいうとおりのしかたで政治的責任をとるべきだ」と考えるのは、彼の自由であり、それを公言するのは彼の神聖なる権利である。
しかし、徐さんの意見に「全日本人が聴従すべきである」であるというのは高橋の私見にすぎない。「なるほど、その通りだ」と思う人もいるだろうし、「ちょっと、それは・・・」という人もいるだろう。
たとえば、アメリカ人で共和党支持者のジョン・スミスさん(イリノイ州、オーロラ在住、43歳)は、「日本人としての政治的責任」のとりかたとは、アジアにおけるアメリカの軍事的・政治的・経済的権益を死守することであると考えているかも知れない。(「戦後55年、日本のあんたらがビジネスに精出しているあいだ、汚れ仕事はぜんぶわいらがやったんやないか。朝鮮半島で、インドシナで、うちとこの若いもんぎょーさん死んどるねん。その血であがなったおたくとこの戦後の繁栄やろが。おう。少しは感謝つうものをしてみせるのが人の道いうもんちゃうか」)
この場合、徐さんとスミスさん(仮名)のそれぞれが迫る「日本人としての政治的責任の取り方」のうちのどちらを優先的に聞くのが「より正しい」のかは、日本人ひとりひとりの自由な判断に委ねられているし、委ねられるべきだと私は思う。
私たちはある意味で日々の行動(あるいは非行動)を通じて、「日本人としての政治的責任」にかかわる決定を下し続けている。それは義務であるだけでなく、憲法で保証された私たちの基本的な権利でもある。
それらのさまざまな政治的責任のとりかたのうち、ある特定のかたちに賛同できないものは、「パスポートを裂け」「難民になれ」というのは、「おれの意見を聞けないやつは非国民だ」というのと論理的には同型の恫喝である。
もちろん「恫喝」という形式で「真理」が語られることだってあるかもしれない。(私は一度も経験したことはないが、ひろい世界だ、いろんなことがあるだろう。)
しかし、少なくとも、誰かを説得するためには、こういう語法はあまり使わない方がいいと私は思う。
繰り返し言うように、私は高橋の政治的意見に「賛成」である。私が反対しているのは、その立場を語るときの語法についてである。
政治的意見を述べるときは、「説得」するか、「罵倒」するか、どちらかの語法を選ぶのがいい、と私は思っている。
「説得」というのは、めざす政治的成果を獲得するために、自分の言葉を捨てても「他者」の価値観や経験の仕方のうちに身をすり寄せていくことである。
「罵倒」というのは個人的な好悪の感情の発露であり、真偽や適否を論ずる水準ではない。「バカというやつがバカなんだよ」という小学生の真理が語っているとおり、罵倒は普遍的妥当性をあらかじめ断念しており、その断念(「どーせ、おじさんの繰り言なんですけどねー」)を経由してはじめてその戦闘性を獲得する。
私は政治的言説は、このどちらかに徹すべきだというふうに考えている。
政治について「真理の審級」「当為の語法」では語らない方がいい、と私は思う。
同じように、ある政治的「問題」についての個々人の「回答」を誰かが(誰なんだろう、いったい?)「査定」してくれる、(「点が低い」ときは「パスポートを破れ」というような叱責が飛んでくる)という発想法はとらないほうがいいと私は思う。
それは査定の基準が間違っているからではない。(徐さんのいうことは筋が通っている)
そうではなくて、このような査定は最終的に二種類の人間しか生み出さないからである。
それは「採点者の意図を汲んで、喜びそうな答えを書くずるこいやつ」と、どんな回答を書いてもぺけをつけられて返ってくるので、ついに怒り狂って「もう、やめや!」と机をひっくり返す無法者である。
この二種類の人間はどちらも世の中を住み易くしてくれるタイプの人間たちではない。
まとまりのない話ですまない。
おわり。