6月26日

2000-06-26 lundi

ジャック・ダニエルズのロックグラスを片手に、カウチポテト状態で総選挙の開票速報のTVを見ながら梅雨の一夜を過ごす。
私はTVというものをほとんど見ないのであるが、開票速報は大好きである。
私が投票に行くのは、この開票速報をより楽しむためである。(どうせ競馬見るなら、馬券を買ったほうが楽しめるからね。)
ということは、面白い開票速報番組を作る局は、それだけで投票率の向上に、ひいては民主主義の活性化に寄与しているということになる。TVもあまりバカにしたものでもない。
東京にいるころは知らなかったが、関西のTVでは、東京の制作局でやっているプログラムを中断して、近畿の開票速報をローカル局のアナウンサーとローカルな政治評論家がやっている。これはびっくり。
だって、つまらないんだもの。
どうせ全国ネットしているわけじゃないんだから、思いきって「ここだけの話ですけど」的な内幕トークで出演者大笑い、というならともかく、ただセットがちゃちで、まとめ方の手際が悪く、分析がせこい、というだけの番組である。
それに近畿のことばかり放送しているので、全国の開票結果がどういう動向になっているのか全然分からない。
プロ野球日本シリーズの決勝の実況を中断して、草野球の中継を入れているような感じである。
ぜひやめてほしい。
あちこちザッピングしたが、やはり久米宏と田原総一朗のテレビ朝日のが面白かった。
田原総一朗は性格の格悪さに磨きがかかってきて、昨日も次々と政治家たちを本気で怒らせていた。(不破哲三はほとんど目に殺意を浮かべていた。)
頭ごなしに相手をはねつける口調ばかりではなく、相手が何かを理路整然と語りだして、「さ、ここから本題に」という瞬間に話の腰を折って、「あ、もういいや。次行きます」と水を差すタイミングが絶妙。ひどいときには中継の画像を「あ、回線が死んだようです」でブチっと切ってしまう。(あれは田原総一朗の手元にスイッチがあるのではないだろうか。)
そのくせ、公明党の坂口政審会長の無知を満天下にあばきだすためには、「ふんふん、ほうほう、それで」といつまでも相づちを打ち続ける。(気の毒にこのひとは自分が「遊ばれている」ことに最後まで気がつかなかった。)
なんて、ひどいやつなんだ、と思いながら田原総一朗から眼が離せない。この人も「いい死に方」はしないだろう。
こういうTVの生放送に出ると、政治家の「器」というのは一発で分かってしまう。
恐ろしいものである。
何を聞かれても、てきぱきと答え、数字をぺらぺら並べる、頭のよい人というのはたしかにいる。
きつい突っ込みをされると、急にドスの利いた声で「なめた口きいたらあかんで、こら」と品の悪い反撃をかます、というようなあぶない芸当をこなす古狸もいる。
しかし、彼らが苦手なのは、「分かりません」とか「あ、ごめんなさい。それ知りませんでした」とか、「それはね、できませんよ。むりよ」とか正直に言うことである。
これはむずかしい。
何かができない、何かを知らないということを言明しつつ、なおかつ知的で、信頼にたる人間であることを印象づけるということはわりとむずかしい。
それは「頭は下げるが反省しない」というのとは違うのである。「きっちりわびを入れているのだが、それほど仕事ができないひとのように思えない。いや、いっそ正直で自己評価の客観的なひとではないか」と思わせるような厚みのある芸というのは、相当に器の大きいひとしかできない。
私たちが政治家に求めているのは、「・・・も・・・もやります」というお気楽な空手形ではなく、「・・・はできないけれど、・・・ならできます」というクールな限定なのである。(というようなことをフクオカ先生も言っていたな)
昨日出た中では、自民党の町村信孝というひとがなかなかよかった。
他の政治家たちが田原に「与えられた」スピーチチャンスに必死でとびついて自説を開陳して田原の意地悪な「ぷちん」で腰砕けにされているのに対して、この人だけは「いや、短い時間じゃきちんと言えないから、今日の所は黙ってますわ」と余裕の「とほほ顔」でやり過ごしていた。
田原みたいな性悪な人間を相手にしているときは、そのルールに乗らないで沈黙を保っているほうがかえって存在感を示す、ということに気付いている分だけ、町村はほかの政治家より賢そうだった。「次の次」を狙っている人らしいけれど、なるほど。それなりの「器」のようである。
というふうになかなか楽しい一夜でありました。