6月18日

2000-06-18 dimanche

「死のロード」が終わって生きて我が家に帰ってきた。
金曜の朝7時から、日曜の午前1時までずっとスーツにネクタイという格好だったので背中が凝った。
いろいろ興味深い発見の多い二日間だった。

ビジネス・カフェ・ジャパンのオープニング・セレモニーはホテル・ニューオータニの芙蓉の間というところでやったのだけれど、なんだかずいぶん大がかりなセレモニーだった。(マスコミが50社来たそうである。)
平川克美君が拍手を浴びつつ登壇、ビジネス・カフェがどういうコンセプトの事業であるのかを滔々と語ってくれた。私はビジネスのことはまったく分からないけれど、平川君のやろうとしていることが「金もうけ」ではなく、「まじめな遊び」である、ということはよく伝わってきた。
日米の元気な企業家たちを集めて、その「出会い」が可能にするビジネス・ゲームを「楽しむ」というのがビジネス・カフェの狙いのようである。

平川君はその昔いっしょに会社をやっているころ、やたらに社員をふやす人だった。
誰かに頼まれたり、「仕事下さい」と泣きつかれると、「ほいほい」と入れてしまうのである。(フジイとか)
あまり無計画に人を入れると人件費がたいへんだよ、という忠告をした人に、平川君が答えて曰く。
「いいんだよ。人を入れたら、彼らを食わせる分だけ新しい仕事を探せばいいんだから」
仕事がまずあって、それを適切に処理するために「人材」を運用する、という発想を彼はしない。
まず人がいる。で、その人にはたぶんその人にしか出来ない種類の仕事がある。それを探してやってもらう、という仕方で平川君はビジネスを拡大してきたのである。
ビジネス・カフェもそれと発想は一緒である。
まず「出会い」がある。その偶発的な出会いから何かが「起こる」かも知れない(起こらないかもしれないけど)。何か予想もしなかったことが起こったら面白いね、という考え方である。

セレモニーのあとはビジネス・カフェ「いちおし」のヴェンチャー企業のプレゼンテーションがあった。
「ウェブ上で3Dコンテンツを走らせるエンジン」を開発したグループと LINUX で従来の価格の30分の一の値段でスーパーコンピュータできます、というグループのプレゼンテーションを聞いた。
これがぜんぜん分からないんだけれど、すごく面白かった。
フリーOSであるリナックスが世界10万人のボランティアによって日進月歩(というか分進秒歩)を遂げ、ウインドウズOSを駆逐するのは時間の問題、というはなしにあらためてびっくり。
近代的な「ベネフィット追求型ビジネス」の感覚では対応できない段階に文明にはいったな、という感じがした。

交易の起源は「利潤の追求」ではない。(貨幣がないんだから)
「必要なものを交換しあった」という説明も成り立たない。(琥珀とか桜貝が「必要な物」であるはずがない。)
経済人類学の教えるところでは、とりあえずまず「交換」があった。
やたらに「交換」というものをしたがる生物であったという点でクロマニヨン人はネアンデルタール人と決定的に異なるらしい。
とにかく、どんどん交換をして、いろいろなものを物流の流れにのせて、ぐるぐる動くのが好きでしょうがないというのが現生人類の「業」なのである。
そういう点では、ビジネスシーンは「クロマニヨン帰り」を果たしつつあるように思われる。
ネット・ビジネスではあんまり必要性のないものがぶんぶん流通している。それどころか、ビジネスから利潤を獲ようということさえ考えないひとがでてきた。
いろいろな人や情報やスキルが出会って、そこで「新しいもの」が生まれること自体が楽しい、というクロマニヨン人型ビジネスマンが21世紀におけるドミナントな形態になるのだとしたら、ビル・ゲイツとウインドウズ王国の没落は「20世紀型ビジネス」の弔鐘をならしていることになるだろう。

会場でいろいろな人たちと名刺交換をする。
小学校の同級生、新井勉君と会う。38年ぶり。新井君は外務省の偉い人になっている。いろいろ昔話していて、「新井君、高校どこ行ったの」という質問をしたら、「日比谷」という答えが返ってきてびっくり。
高校で新井君を見た記憶がなかったからである。
私がいかに視野狭窄的な青春を送っていたかよく分かった。
会のあと、石川茂樹君、新井君と飲みに行き、石川君のディープでコアな音楽談義に耳を傾ける。

土曜日は早起きして大阪へ。
関西大学で身体運動文化学会の関西支部会があり、私はそこで発表をするのである。
関西大学というところにはじめて行った。
駅前から大学正門までずらりと「飯や」が並んでいる。壮観である。業種別にみるかぎり、関大生諸君は「うどん」を主食に暮らしているらしい。
身体文化一般を扱うという学会なので、スポーツ、武道、芸能、各種身体技法の研究者が集まっているというふれこみででかけたが、どうも雲行きがちがって、関西支部の会員の90%は大学の体育の先生であった。
私のような「文化系」の人間は少数派である。
私の発表は「武道は非中枢的な身体運用を追求する」というかなり思弁的な内容のものであったせいか、みなさんはなんとなく片づかない顔つきであった。
柔道の専門家の方からいろいろと質問があったが、話が噛み合わない。
試合をしたり勝ち負けを論じていると「絶対的な強さ」には到り得ないという考え方が納得できないようである。
まあ、「武道の目的は弱くなることである」というのが結論なんだから、柔道のひとからは、ちょっと困るよね。
スポーツとして武道をしている人からすると、「それって、スポーツとしての武道を否定することになりません?」という感じでむっとしたかもしれない。
怒らせたのであれば、申し訳ない。
でも、「スポーツとしての武道」はスポーツであって武道ではない、と私は思う。それは「護身術としての武道」や「健康法としての武道」が、それぞれ「護身術」であり、「健康法」であり、武道そのものではないのと同じ理由である。

雨の中、「ミラノの生ハム」とつぶやきつつ、へろへろになって武庫之荘の山本画伯宅へ。
今回はアレクサンダー・カルダーさんの「サーカス」ヴィデオを見ながら、生ハムおよび「三種の香草パスタ」と「トリュフのパスタ」を頂くという趣向である。
お客さまは、難波江さんと、画伯の友人たち、美大生のアシスタントたち。知らない人たちがほとんどだけれど、構わず座り込んで、どんどんワインを飲んで、パスタやサラダやチーズをどんどん食べ散らかしつつ、わいわいおしゃべりをする。
もう疲れ切っていたので、1時間くらいでお暇するはずが、12時近くまで食べ続けてしまった。(だって美味しいんだもん)
三杉先生は先約があって来られず、「私はく・や・し・い」のリフレーン付きのファックスを送ってくれた。それを見ながら、「わはは、パスタ美味しい、生ハム美味しい」と三杉先生が聞いたら泣き出しそうなことを言いつづける。
前回の「お・い・し・か・っ・た・わ・よー」の罰があたり、内田の怨念で生ハムが食べられなくなってしまったのでは、と三杉先生は書いておられたけれど、そんなことないすよ。ははは。はははははは。