6月8日

2000-06-08 jeudi

このところ、ゼミの発表がなかなか面白い。
うちのゼミは、学生さんが自由に研究テーマを選んできて、それについてみんなでわいわい議論するのであるが、なんだか私には思いもつかないような不思議なテーマをみんなみつけだしてくる。
先週のゼミ発表は川上さんの「マンガにみられる擬態語」についての研究であった。
擬態語というのは、ものごとの状態をあらわす言葉「にこにこ」とか「しとしと」とか「ぴかぴか」とかいうものである。
よく間違えられるけれど、擬態語は「擬音語」とは違う。
だって「にこにこ笑っている」ひとの顔のそばにいくら耳を近付けても「にこにこ」に類した音は発生していないからである。
「にこにこ」は「笑っている」という現実の出来事と、その笑いを見て「あ、にこにこしてる」と感じているひとのあいだの「交流」の効果として出現する語である。
「にこにこ」という擬態語は、笑いという身体現象の側にも、その笑いを眺めている観察者の側にも専一的には属していない。
その「あいだ」に出現する。
一方に物理的現実が粛々として存在し、一方に超越的視座からそれを眺める観察者が冷厳として存在する、という二元論的な世界観がドミナントな文化圏では、おそらく擬態語のようなものはあまり生まれてこないだろう。
日本語は擬音語、擬態語の語彙が非常に豊富であることで知られている。
それはたぶん私たちが二元論的なものの見方をみんなあまり得意ではなくて、「対象」と「主体」の「あいだ」に、いくぶんかは客観的事実あり、いくぶんかは主観的印象のしみ込んだどっちつかずの「世界の風景」を眺めることを好むせいなのかもしれない。
良く知られた話だけれど、「日本人は虫の音を左脳で聴く」といわれている。
左脳というのは、論理的思考を司る器官であり、音声としては言語音を聞き取る。自然音は「ノイズ」であるから、右脳で聴かれ、もちろん言語音としては認知されない。
そのはずなのに、なぜか日本人だけは左脳で虫の音やせせらぎの音や松籟を聴いて、そのまま感興に乗じて歌を詠んだりするのである。
かわった人たちである。
たぶんこの大脳生理学的事実は擬態語の多さと関係があると私は思う。
「マンガの擬態語」の発表では、アメコミでは「擬音語」(Pawwwwn! とか Bang! とか ZUUUUT! とか)はあるけれど、擬態語はほとんど見られず、ましてや「どきっ」とか「があーん」とか「うるうる」とかいう擬態語が20世紀フォックスのマークみたいに画面いっぱいに広がったりすることはない。
我が国のマンガにおける擬態語は背景の一部であると同時に心理描写であり、画であると同時に文字であり、台詞であると同時にト書きである。
つまり「ふきだし」に書かれている言語音と、画面に書かれているヴィジュアルなものが相互浸透しあっていて、その「あいだ」には厳密な境界線が存在しない、というのが我が国のマンガのきわだった特徴なのである。
擬態語は「言語音」と「自然音」の「あいだ」に存在する音声である。
それが豊かな語彙を形成しているということは日本文化を考察する上でたいへん重要な手がかりになると思うのであるが、どうであろう。

それに関連して思ったのだけれど、森首相が「神の国」とか「国体」とかぼろぼろ失言をして政治的失点を重ねているが、これをイデオロギー的な確信にもとづいた発言というふうにとらえるのはやはり適切ではないだろう。
ご本人が釈明しているように、これらの語はいずれもあまり害のない「普通名詞」であると同時に、ある歴史的文脈に置き直すと、特異な語義を帯びる「政治用語」である。
そのような特殊な術語だけを選択しているのであるとすると、彼がやろうとしている政治的パフォーマンスはなかなか高度なものだということになる。
つまりこれは「洒落」とか「掛詞」とかいうのとかなり近い言語表現なのである。
普通名詞として聴けば普通名詞に聞こえ、政治用語として聴けば政治用語に聞ける。どう聴くかは、オーディエンスにお任せである。その発言の効果は話者と聞き手の「あいだ」に、一回的に、パフォーマティヴに(つまり、どう「聞き込むか」という聞き手の主体的な関与に従って)出現する。
これはあまり内省的とは思われない政治家のパフォーマンスとしては、けっこう複雑な構造をもっている。
野党の政治家たちが「一義的なメッセージ」を送り出し、受けとめてもらうことを政治家の主たる仕事というふうに認識しているのに対して、自民党の政治家たちは(石原慎太郎なんかもふくめて)メッセージの多義性に政治的効果を賭けるという手法を本能的に選択している。
おそらく無意識なふるまいなのだろうけれど、それでもこれは自民党政治というものがいかに日本文化の深層に根をおろしているのか、それなりに日本文化の構造を理解しているのか、その知見の確かさをうかがわせるできごとではあると私は思う。