全日本合気道演武大会と東京大学五月祭大演武会が終了。
神戸女学院大学合気道部はなんだかたくさんの人が参加したようであった。(多すぎて、数えられない)
合気道部は方針として「現地集合・現地解散・自力更正」であり、時間はきびしくパンクチュアルで、その時間にたどりつけないひとは「捨ててゆく」。したがって、集合時間に遅れたひとは異郷の地で自力でみんながいるところまでたどりつかなければならない。もちろん交通手段や宿泊先もすべて「自力確保」である。部として面倒をみる、ということはしない。各参加者が、自分の財力と嗜好に合わせて、深夜バスから飛行機まで、シティ・ホテルからともだちの家までいろいろと選択してよいのである。
とくに集合時刻に遅れた者は「捨ててゆく」というかという原則には「ちょっとひどいのではないか」と涙する向きも多いようであるが、これは私の決めた原則であるので、変えないのである。
たとえ不可抗力であれ、なんからの事情でそこに来なられなかった人は、「ご縁がなかった」ということでご諒解願いたい。
幸い、今回はみなさん「ご縁」があった(というか、主将の江口さんが細かいフォローを入れてくれたようで)全員ちゃんと東京にたどりつき、ちゃんと寝場所も確保し、武道館にも来た。
演武会では「国歌斉唱」というものがある。(もちろん五月祭にはそんなものはない)
全員ご起立願って、「君が代」を歌うのである。
何年か前、「君が代」を歌う声が小さい、歌わないやつもいる、ということで開会式の挨拶で怒りまくったひとがいるが、これは怒る方が間違っている。
合気道の修業者は国内100万人、海外50万人である。国内の修業者には在日チャイニーズ、コリアンもいるし、もちろん海外から来たひともいる。彼らは植芝先生が日本の伝統武術を総合的に体系づけた東洋的な心身錬磨の技法を習得するために稽古をしており、その体系は政治単位としての「日本国」とは何の関係もない。
もし、私が例えば「野球」の世界大会に参加したときに「野球はそもそもアメリカ発祥である」ということでアメリカ国歌を歌えといわれたら、「それはちょっと違うんじゃないか」と言うだろう。ゴルフの国際トーナメントで「ゴルフはそもそもイギリス発祥なんだから」ということでギャラリーは全員起立してゴッド・セイヴ・ザ・クイーンに唱和しろといわれても困る。
そういう国家制度は合気道とは何のかかわりもない。
私自身は「君が代」を歌う。
この歌はあまり好きではない。(だから「青い山脈」に変えろという提言もしているわけだが)しかし、私自身が近代的システム=国民国家としての日本国家の一員であり、有権者としてまた納税者としてその社会の成立に積極的に関与している以上、こういう場合には「国民国家」の儀礼的フレームワークはきちんと肯定しないと筋がとおらない。それは私が現在の政治体制の内側で選挙権を行使したり、「菊のご紋章」入りのパスポートを使用していることと同じである。
ただし、これはあくまで国民国家という政治的システムに対する私自身の個人的な政治的スタンスの取りかたの問題であって、私の「政治的自由」に属する。だから、もちろん「君が代」を歌わないひとの「政治的自由」を私は尊重する。(国歌や国旗に対するレスペクトは憲法の規定する「国民の義務」にはカウントされていない。)
そして、「君が代」を歌わないひとにむかって「非国民」と怒号するような人間の政治意識の低さと感情生活の貧しさを深く激しく軽蔑するのである。
国民国家に対する最大の裏切りは国法違反である。「非国民」と呼ばれるべきなのは、国法を率先して遵守する義務を負い、かつ遵守することを他者に強制する権力を保持しながら、なお国法を軽んじるものたちであると私は思う。
今回、数えてみたら、参加した多田先生の門下生の関与する団体は合計15に及んでいた。自由が丘、月窓寺、北総、奈良、志木、川崎、大宮、里見、武蔵野、稲門、宏心会、神戸女学院などなど。今回は参加していないけれど、このほかにイタリア合気会、スイス合気会といった巨大な団体が控えている。
よみうり文化センターで指導している同期の小堀秋さんといろいろ話しているうちに多田先生は弟子を育てることについては卓越した力をもっているという話になった。
まあ自分たちも弟子なので、「弟子を育てることに卓越」というと、なんだか具合がわるいけれど、それにしても次々と「のれん分け」をして「独立」していった弟子たちが、多田先生を中心とした緊密で巨大なネットワークを形成しているさまは壮観である。
たしかに多田先生の道統を「継承」し、次代のネットワークの中核となりうるような「一頭地を抜く」弟子というものは存在しないけれど、そのような「ツリー状」の継承関係とは違ったかたちで、いわば「リゾーム状」のネットワークはみごとに機能していると思う。
東大気錬会や早大合気道会の諸君が次々と神戸女学院合気道会の稽古に参加してくれるのもそうだし、うちの学生諸君が「東京お稽古ツアー」で月窓寺で楽しくお稽古させていただいたりするのも、みなこれ同門同士のコミュニケーションの風通しのよさの効果であると私は思う。
演武大会のあとは恒例により九段会館屋上ビアガーデンにて多田先生のご招待により大宴会。百人以上集まった上、学生は無料なのである。にわか雨に怯えつつ、ホスト役で走り回る多田先生をひきとめてわいわいとご歓談。
多田先生の主宰行事はすべて「ぱっと始まって、ぱっと終わる」。
だから、うっかりしていると先生のお見送りの機会を逸することになる。(前回の広島では、二回とも先生のお見送りに学生たちは間に合わなかった。私は多田先生のすばやさを知っているので、必死に着替えて間に合った)
今回も、「ではこれで終わります」の声を聴いて、すぐに階段を駆け下りて玄関まで走ったが、先生はすでにはるか後ろ姿となっていた。というわけで「ご縁のないひと」は先生となかなか別れのご挨拶ができないのだ。
飲み足りないので、気錬会OBの高雄君と現役の矢野君をまじえて、瀧さん、溝口さん、飯田先生、ウッキーと神保町でビールとワインをごくごく飲む。
矢野君は合気道をはじめてまだ1ヶ月という新人であるが、高雄君の古くからの「バンド仲間」ということで、高雄君の意外なアーティストとしてのアナザーサイドを知ることになった。そのふたりを話の種にして飯田先生とウッキーががんがん飛ばす。
そのあと私と飯田先生は宿舎の学士会館へ。そこでさらにビールを飲む。
「私は実は悪いひとなのだ」という話題になって、「自分がいかに性格の悪い人間であるか」について語るのだが、飯田先生があまり私の「悪さ」を正しく評価してくれない。「そのくらいなら、ぜんぜんふつうですよ」と取り合ってくれない。しかたがないので「おいらは、こんな悪いことも、こんな悪いこともしてるんだぞ」とむきになってしゃべっていたら午前二時になってしまった。
案の定、翌朝は二人とも「サバ眼」。
睡眠不足水分不足で東大七徳堂へ。
受け身をとるとげろをはきそうなので、静かにしている。
プログラムは順調にすすみ、OB演武で北澤さんの受けを江口さんがとることになった。主将の凛々しい姿に一同拍手。神戸女学院の学生諸君の演武も「さわやか」でたいへんよろしかったと私は思う。
私の演武はなるべく(くらくらする)頭を動かさないようにして動いたので、なんだか「仕舞」のようなものになってしまった。
演武会には自由が丘の亀井先輩もお見えになっていた。亀井先生には神戸に行く前に餞別代わりに、親しく差し向かいの「送別」稽古を付けていただいた恩がある。演武のあと、ずるずると這いずって行って「どうも、お粗末さまでした」と申し上げたらにやにや笑っていた。二日酔いだったのがばれたかもしれない。
多田先生の説明演武をビデオに収める。これは貴重。
最近得意の「庭に猫」の話が出る。
多田先生が庭に立っていると、向こうの垣根から猫が一匹、こっちから一匹・・・というヴィジュアルなイメージが鮮烈すぎて、お話の趣旨が分からなくなってしまった。
演武会後、「現地解散」。
私は早大東大のOB諸君をまじえてお昼ご飯。
原君が話してくれる合気道「裏話」に笑い興じる。実に面白い話だったが、面白すぎてここには書けないのだ。
というわけで波乱の二日間が終わった。
神戸女学院合気道会、合気道部のみなさん、お疲れさまでした。
楽しかったですね。
(2000-05-29 00:00)