いきなり怖い話。
飯田先生が、階段で「先週、岡真理さんに会いましたよ」と言ってにっと笑った。
ぎく。
岡さんといえば、ちょっと前の「うほほいブックレビュー」で批判がましいことをくだくだ書いた(そのあと反省したけど)若手のフェミニストである。
「岡さん、内田先生のホームページ読んだそうです。」
ぎくぎく。
それはないでしょう。
本人が読まないという前提でこういうものは書いてるんだからさ。
本人が読んだら気を悪くするじゃない。
私はセレブリティをある種の立場を代表する非人称的存在として論じているのであって、ご本人には別に何の遺恨もない。
本人が読むと知っていたら、悪口なんか書きませんよ。(書いている場合もあるが)
しかし考えてみると、セレブリティといっても人の子。世間では私のことをどう論じているのだろうかと気になって、自分の名前をキーワードにしてサーチエンジンをかけるということだって当然あるだろう。そして、うっかり私のホームページに出くわしてしまって、「なんだこのやろう、勝手なことを書いて」とかりかり怒るということだってありそうだ。
うーむ困った。
私も主夫業のかたわら業界にもちょっとかかわっているので、あまり世間を狭くするわけにもゆかない。まあ、私の世間なんかどうだっていいのだけれど、本人が気を悪くされてはすごく申し訳ない。
村上春樹がどこかで書いていたけれど、有名になるというのは、知らない人からぜんぜん身に覚えのない「好意」と「悪意」を同時に向けられる経験だそうである。
私は有名人ではないので、私に向けられた(「好意」については身に覚えがない場合もあるが)「悪意」はすべて「身に覚えがある」ので納得できる。しかし、岡さんは有名人と普通のひとの中間くらいのところにポジションしているので、見知らぬひとからの批判にはまだ慣れていないだろう。けっこう傷ついたかもしれない。
うう、すまないことをした。
ごめんなさい。
以前、K談社のKさんという人からメールを頂いた。
「戦争論」で高橋哲哉のことをいろいろけなして書いた私のURLを次郎君が教えてしまって(Kさんは高橋哲哉の担当編集者なのだ)「貴重なご教示をありがとうございました」という冷や汗もののメールがきた。
高橋さんご本人には見せないでね、とさっそくお願いしたのだが、どうなったのであろうか。
そのKさんご本人が明後日神戸にやってくるという電話があった。
レヴィナスについてなど、いろいろお話をしたいという。
「いろいろ」って何だろう。「シロートさんが商売のじゃましちゃ困るんだよ、おう」とかぱしぱしキックがはいるのかもしれない。うう、怖い。
しかし、ホームページにひとの悪口を言いたい放題書いておいて、本人には(気を悪くしたら困るから)読んで欲しくないというのも、なんだか情けない。私の批評精神というのは居酒屋のカウンターより広い範囲には出てはならない程度のものなのであろうか。うーむ。これは情けない。
などといいつつ、村上春樹編・訳『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』を読んで、大発見をした。
このアンソロジーにはレイモンド・カーヴァー、ジョン・アーヴィング、ティム・オブライエンなどアメリカの錚々たる作家諸氏の短編やエッセイやインタビュー記事が村上春樹ののりのいい訳文で収録されているのだが、その中にトム・ジョーンズの『私は・・・天才だぜ!』という短い自伝的エッセイが収められている。
この人は相当の変わり者で、村上春樹が本人とあったときの話ぶりをそのまま採録すると
「ヴェトナム戦争にずいぶん深くコミットしていたんだが(そのコミットの内容については彼は多くを語らなかった)、事情があって戦争そのものには行かなかった。それでちょっと頭がいかれちまって(ボム!)フランスに行ってしばらく好きなことしてごろごろしていたんだ。でもいつまでもそんなことしてられないから、しょうがなくてアメリカに戻ってきて、広告代理店に入った。四十くらいまでそこで働いていたんだが、俺は何しろコピーライターとしては腕が良くって、ばんばんカネが入ってきた。いやになるくらいもうかった。そのころはジャガーに乗っていた。ジャガーだぜ。知ってるか、ジャガー? 知ってるよな。いい車だ。でも仕事そのものはつまらなくて、会社を辞めて、今度は学校の用務員になった、そいでもって用務員を五年やってな、そのあいだにばんばん本を読んだ。そしてこれくらいなら俺にも書けるぞと思った。用務員の仕事もけっこうしんどいから、そろそろ広告業に復帰しようかと思ったんだが、入れてくれないんだ。広告代理店を辞めて学校の用務員になるようなやつはアタマに問題があるって、戻らせてくれないわけよ。それでしようがないからせっせと小説を書いて雑誌に送ったら『ニューヨーカー』が採用してくれたんだ。それでこのとおり作家になった。しょっぱなから『ニューヨーカー』だぜ。うん、ぶっとんじゃうよな。」
というエキセントリックで豪快な人生のひとなのである。ほかにも海兵隊とボクサー時代の話もあるのだが、残念ながら村上春樹はそこまで聴けなかったそうである。「あまりに話すべきことが多いので、適当にはしょったのであろう」と村上は推察している。
そのトム・ジョーンズ自身の短い自伝的エッセイによると、彼はなんとイリノイ州オーロラの出身なのである。
彼は自分の故郷の街を「ブラジルのジャングルの真ん中にあるおぞましい金鉱山」と「そのまわりにひろがる薄ら寒いクソ田舎文化」に類比して、「なにしろ町で唯一生き生きとしている」のは図書館だけで、もし図書館がなかったら「町はどうしようもなく無味乾燥なものとなっていたに違いない」と口を極めて故郷の町の退嬰性を罵っている。
だからどうしたって?
やだなあ、イリノイ州オーロラですよ。
KCMMFCの諸君はもうお分かりでしょ。
パーティ・オン!
そうです。イリノイ州オーロラはトム・ジョーンズとウェイン&ガースの故郷だったのです。
いかにも、という組み合わせでしょ?
訂正のお知らせ:昨日の本欄で「鹿児島国際大学の堀田先生」とありますのは「飯田先生」の間違いでした。(梁川君から「ご訂正のおしかりメール」が来た。)委員会のときに「堀田先生」と「飯田先生」が並んですわっていたので名前を間違えて覚えてしまったようです。ごめんなさい。「とほほ」のほうは訂正すみです。
(2000-05-25 00:00)