5月23日

2000-05-23 mardi

あー疲れた。
ようやく「死のロード」が終わって神戸に帰ってきた。
疲労困憊はしたけれど、なかなかに充実した四日間でありました。
カミュ研究会が学会のたびに開かれて、研究発表と情報交換と懇親が行われる。
同じようなタイプの研究会がプルースト、マラルメ、ヴァレリー、サルトルなどなどについて存在するが、本カミュ研究会のきわだった特徴は(代表の三野先生のご説明によると)「大家がいない」ということにある。(「おおや」じゃないですよ。あ、それもいいね。「店子」だけの研究会。)
だから、「ここだけの話だけど」的なあっと驚く大胆不敵な学説を聞くことができる。(今回の発表もけっこうびっくりした。)
私のカミュ論なども紛れもなく「珍説」の類であるが、ここでは実に暖かいオーディエンスを得ることができる。そういう、とてもウオームハーテッドな研究会である。
その『カミュ研究第四号』が発売されたので、学会入り口にブースを頂いて営業して、通りがかる先輩諸氏に売りつける。
「え、内田君が書いてるの。じゃ、買わないとね」とにこやかに財布をひろげてから、¥1300という価格にみなさん「えっ」と絶句していた。
お買いあげ頂きました西谷修、鈴木道彦、吉川一義、西川直子、北山研二、吉田城、諸先生の雅量に深謝。(なぜかプルースト研究の大家のみなさまに集中的に売りつけてしまった。)
学会のできごとについて、あれこれと報告したいのだが、学会に行って分かったのが、けっこう大勢の同業者がこのホームページをチェックしているということであった。
うかつなことを書けない。
うー、書きたいことがいろいろあるんだけどなあ・・・。

日曜日は午前中だけ分科会を拝聴して(バタイユとラカン)、おおあわてで横浜中華街華正楼にて父の米寿の祝いに駆けつける。
何年ぶり、何十年ぶりという親戚ご一統さまと懇談。
いとこ達もみんなけっこうなお年になられたせいか、話題はなぜか「内田家のルーツ」をめぐって盛り上がる。
内田家は庄内藩士の出だということは知っていたけれど、今回、そのさらにご先祖さまが埼玉の郷士で、その村には「内田」という家がいっぱいいる、ということを教えて頂いた。
戦後の混乱期には、うちの父がその遠い郷土へ「買い出し」に出かけて、一族のみなさんから暖かく迎えられたという逸話も始めて聞いた。新徴組の隊士で千葉周作の玄武館にいて、そこそこ剣術を遣ったひとが四代前くらいにいたというのも初耳。
人間、年を取ると、自分の家系について知りたくなる。
どうしてなんだろう。
内田家の菩提寺は鶴岡にある宗伝寺という曹洞宗のお寺だそうである。一度行ってみたいね、と兄ちゃんと話し合う。

月曜日は学会の委員会が終わってからアーバンに顔を出す。
なんだか凄いことになっている。
私が出資した「ビジネス・カフェ・ジャパン」は会長が村井勝さん(コンパックの前の社長さん)、社長が平川君で、アドバイザーには成毛真さん(マイクロソフトの社長さん)とかの名前が並んでいる。マックフリークの次郎君が聞いたら絶交されそうである。
会社案内を拝見したら「東京-シリコンバレーをつなぐインキュベーションネットワーク」という私にはもう全然理解の及ばない世界になっていた。
しかし、とにもかくにも私も株主である。(四億円のうちの100万円だけど)
さっそく「株式店頭公開したら、いくらになるの?」というせこい話を振る。
アメリカ出張直前で走り回っている平川君がにこやかに「秋に十倍、店頭公開したら百倍かな」と軽く言ってくれる。
ひゃくばい?
それって、「いちおくえん」ってこと?
わお。
持つべきものは友である。
松下君ももちろん株主なので、ふたりで、一億円て積み上げると何センチくらいかなと視線をうつろに中空に泳がせつつ夢想にふける。
平川君は、最近、日経やビジネス関係の雑誌ではすっかり「話題の人」である。
有名になるとジャーナリストたちは、「平川克美ってどんな人なの?」ということで、とりあえずインターネットで検索をかける。すると、あろうことかこのホームページがヒットしてしまう。
そらそうだわ。しょっちゅう「平川君」が登場するからね。
このホームページを読んでいる経済誌の記者諸君はどのように思うのであろうか。
「小学校五年生からの友だちと仲良くしているから非常に信頼性の高い人物である」というふうに判断するのか、「ワールド・ビジネスシーンに羽ばたくには、ローカルな人間関係にやや難あり」ということになるのであろうか。
えーと、これをご覧になっている経済誌のみなさん、平川君はすっごくいい人です。
ビジネスセンスは抜群だし、スケールは大きいし、空手もつおいし、友情に篤いし。
ほんとに。

平川君が空港にいってしまったので、松下君とふたりでお昼を食べに行く。
例によってずっと映画の話。
話し出すと面白くって、どうにも止まらない。
「次の本」をまた出そうね、ということで後ろ髪をひかれつつ、新幹線にのって神戸に帰る。
大沢在昌の『無間人形』を読みつつ家に帰ったら、さっそく電話がかかってきて「今日の杖のお稽古どうしたんですか?」と小川さんに詰問される。
そう言えば、午後はやくに戻ってきて五時からの稽古に行くつもりでいて、そういうことをみんなに言っていたような気もする。
松下君との映画話ですっかり時間を忘れてしまった。
ごめんね、みんな。

メールもどかどかたまっている。
H君から、公募に出していたN大学の内定が貰えたという嬉しいニュース。
公募28回目だそうである。
私も30回以上公募して全部落ちた経験があるので、その嬉しさはびしびし伝わってくる。
よかったね。
鹿児島大学の梁川君からは「おしかりメール」。
この人は私を「叱る」数少ない同業者の一人であり、それが私の「成長」を切望しての苦言であるだけになかなかヘビーである。
ちょうど午前中の委員会で、同席した鹿児島国際大学の飯田先生と梁川君の噂をして、「梁川君ってさ、先輩にも遠慮なしに、ばりばり喧嘩売ってくるんだよね。『内田さん、くだらないもの書くなよ』って言われて、論文くそみそに言われたことあるよ」
「そうですか? 最近はそういうことないみたいですよ」という話をしたばかりであったが、やはりあまりお変わりなっていないようである。
「お叱り」の詳細にはわたらないが、私のホームページを見て、「レヴィナス研究者の言うことだから・・・レヴィナスの思想って、こういうものなのかなあ」と思う読者に対する責任をもう少し自覚して語れ、という厳しいご指摘であった。
反省。
仏文の同業者もけっこう読んでいるそうだし、日経の記者も読んでいるそうだし、だんだんうかつなことが書けなくなってきたよ。(うちの両親も読んでいるし。)
そう言えば、金曜の晩に家に帰ったら、母親が開口一番。
「あら、いいネクタイしてるじゃない」
もちろん、これだけでは終わらない。
「いつもと違って」
それさえやめたら、うちのお母さんも「すごくいい人」って言われるようになるのにね、と息子は思いました。