5月16日

2000-05-16 mardi

土日と広島の合気会広島県支部主宰の多田先生の講習会にぞろぞろと15名で参加。
ひさしぶりにお稽古を堪能した。
前回広島にいったのは学会のときで、一度目の鬱病のさなかであった。
鬱というのは(やったことのある人はご存じだろうが)体調と意識の日変化がはげしい。
朝はこの世のものならぬ自己嫌悪と無力感のうちに目覚め、午後になるとだいぶ回復して、深夜、宴会などをしているとふつうの人と変わらない。
宴会中は、「ああ、いまはふつうだけれど、酔いつぶれて目が覚めると、またあの最低の気分が戻ってくるのか・・・」という明日への恐怖感で、どんどんお酒を飲んでしまう。
そのときも鈴木道彦先生や佐々木滋子さんとわいわい騒いだ翌朝、自己史上最悪の「二日酔い+鬱」の朝を迎えた。
世の中にはいろいろと苦しいものがあるが、「二日酔い」で「鬱」の朝、というのはちょっと名状しがたいものである。
そのときの広島のグルーミーな心象風景が記憶に深く刷り込まれていたので、その後近寄る機会がなかった。しかし、こんどは多田先生の講習会である。
たっぷりと稽古して、汗を絞り出して、冷たい生ビールをごくごく飲んで、美味しい広島焼きを食べて、たいへん幸福な気分で帰途につき、広島の印象は一新された。

鬱病というのはなかなか不思議な病気である。
いきなり始まって、いきなり終わる。
ある日突然、自分が生きている価値のないくだらない人間であるということがしみじみ骨身にしみ、それが突然治って「わはは、わしはえらい」になってしまうのである。(これを「治った」といってよいかどうかは別の問題であるが)
これほど世界の風景が激変すると、「ありのままの事実」というものへの根元的な信憑は失われる。同一人物であってさえ、脳内のわずかな化学物質の組成変化で、これだけ世界の様相や経験の意味が変わってしまうのである。他人の目から見える世界がどんなふうであるかなんか、まるで見当がつかない。
他方、私が鬱病で悶々としているときに、周囲の人間のほとんどは私が絶望の縁をよろよろしていることに気付かなかった。それもそのはずで、とにかく学校にはきちんと通い、稽古をばりばりやって、翻訳を出し、論文をわしわし書いていたのである。私の「外面」は恒常性をキープしていた。
タフで惰性的な「外面」に比しての「内面」のこの脆弱さ、その頼りなさに私は一驚した。
というわけで、鬱病で二度ほど泣きを見たせいで、「コギト」に対する私の懐疑は決定的なものとなったのである。
私がコギト主義を徹底的に批判したレヴィナス先生の理説に深く傾倒するのは、そのせいもあるのである。