5月3日

2000-05-03 mercredi

2日は全国杖道大会。大津の武道館まで正道会のメンバー11名でおでかけ。
会として初の公式行事であるので、みんなけっこう気合いが入っている。
今年は平日の開催ということで、参加者はあまり多くなかったが、おなじみの顔ぶれにお会いしてあちこちでご挨拶をする。
鬼木先生おひとりにご出場願って、私たちは「鬼木先生の応援」ということで行こうかしらという案も当初はあったのだが、「競馬場まで行って馬券を買わない手はない」といういささか不謹慎なメタファーのままに応援団も出場することになった。
成績は不本意であったが、鬼木先生からは演武内容はよかったと「合格」のお言葉を頂いた。
全国の杖道家たちの術技を見学することが参加の主目的であったので、その目的は十分に満たせた。
残念だったのは、鬼木先生の優勝シーンを見られなかったこと。(みんな、かなり期待していたんですけど)
終わってから「反省会」を鬼木先生宅で行う。(土曜日に大宴会をしたばかりで、中二日でまたまた)しかし、秋乃ちゃんと遊んだり、ビールをごくごく飲んだり、「駄洒落」大会に堕したりしたために、十分な反省を行い得なかったことがしみじみ反省される。

大会で、若い杖道家とお話しする。居合の大会でよく顔を合わせたことのある非常に礼儀正しい若者。自衛官なので、なかなかレギュラーに稽古ができないという。物腰が丁寧で、非常に折り目正しい。
最近「折り目正しい、爽やかな若者」というものをあまり見たことないので、なんだかびっくりする。ああ、こういう若者がまだ日本に残存しているのだ、と感慨ひとしお。
もしかしたら、自衛隊には彼のような「絶滅種」が奇跡的に棲息しているのであろうか。(「ロスト・ワールド」のように、あるいは三島由紀夫が晩年に夢想したように。)
彼のような自衛官は先般の自衛隊不祥事や石原知事発言をどのように受け止めているのであろうか、ちょっと興味があったけれど、「たぬきのおじさん」の好奇心をさらりと逃れて、彼は爽やかに挨拶して爽やかに立ち去ってしまった。徹底的に「爽やかな」青年であった。

果たして私は教育者としてどのような人材を育てようとしているのであろうか、とふと考える。
「自分の言葉で語ることのできる人間」ということを私はひさしく達成目標としてきたが、なんだかそれだけでは審美的には十分ではない、という気がしてきた。
やはり、「美しい」ということはとても大事なのではないか。
「美しさ」というのはむろん外貌のことではない。「たたずまい」とか、「身の処し方」とか、「去り際」とかにかすかにただよう「欲望の淡さ」のことを私は言っているのである。
たぶんかの青年がたたえる「美しさ」は、バーチャルな祖国と同胞のために、戦場で「死ぬ」ことを回避しない、と宣言した瞬間に彼が獲得した「欲望の淡さ」の効果である。
自分のもつ可能性を全部開花させて、フルに自己実現したい、と望むことは間違ってはいない。間違ってはいないけれど、それでは「欲望が濃すぎる」。
欲望の濃度はおそらく「美しさ」と反比例する。