DNS の番号が変更になっていたのに知らないで使っていたのが、一週間前に機材の変更にともなって古い番号が使用不能になって、私のPCは学外に出られなくなっていたようでした。いま情報処理センターに訊いてきて、ちょいちょいといじったら治りました。
なんだ。もっと早く訊きにいけばよかった。
でも私ひとにものを訊くのが嫌いなんです。(ものを習うのは好きなのに)
街で道に迷ってもなかなか訊ねることが出来ない。
この性分はあるタイプの人間に共有されているらしく、小口のかっちゃんもひとにものを訊ねるのが大の苦手で、「訊くは一生の恥」と称して、あえて無知の哀しみを選ぶという男らしい人生を貫いている。見上げた態度である。
しかしとにかく「訊いてみたから分かったよ」
石川 "うごうご" 茂樹君からテープ三巻が届く。
今年の「新春放談」の一日目(私がエアチェックしそこねたやつ)など貴重な大瀧詠一先生のラジオ放送分のコピーと「うごうご・すぺしゃる」二巻である。
石川君は「GoGo Niagara」のラジオ関東の放送を全回分テープ録音しているというマニアックでオーセンティックな「ナイアガラー」。ナイアガラ・ワールドでは全国区的有名人である。
今を去る25年ほどまえ、アーバンのオフィスが道玄坂にあったころ、お昼ご飯を食べに表へ出たときに「石川君、大瀧詠一って知ってる?」とたずねたところ、彼が顔色を変えたことを思い出す。
私は『ゴーゴー・ナイアガラ』の「楽しい夜更かし」の「午前三時は宵の喉」というフレーズにうちのめされて以来の隠れ大瀧ファンであったのだが、私の音楽嗜好に対して多くを期待していなかった(当然だけど)石川君の驚きぶりは深かった。(よほど意外であったのだろう)
しかし、爾来25年余、私と石川君はふたりだけの「アーバン・大瀧詠一先生を称える会」のメンバーとして忠実なナイアガラー人生を送ってきたのである。(石川君がまめにエアチェックしたラジオ放送のコピーを聴かせていただく、という横着なファン活動ではありますが)
先日、NHK教育テレビで二夜連続で細野晴臣さんのインタビュー番組をやっていた。出演者のところに松本隆、松任谷由美、坂本龍一とならんで「大瀧詠一」の名があったので、おお、大瀧先生いよいよ満を持してTVに出られるのであろうかと胸をときめかせていたら、先生おひとりは「声だけの出演」であった。(さすが)
「うごうご・スペシャル」は「日本語題名がチャーミング」なポップス特集と石川君の「セルフ・リクエスト」。私的(わたしてき)には、「恋のハリキリボーイ」というのが題名としてはいちばん好きかな。セルフ・リクエストは「月光仮面の歌」から始まって「怪傑ハリマオ」「まぼろし探偵」と続く。車の中でいっしょに大合唱。
むかしのヒーローは「おじさん」で「よいひと」で、困っている人を「慰めて」、おまけに「親に心配かけまいと」黒マスクなんかつけていたのだということを改めて知った。
「親に心配かけまいと」だぜ。
すごい。
ラップとかやるひとに聴かせてやりたい。
(2000-04-28 00:00)