先回、私が「おばさん」なので、合気道部の部員たちが全員「おじさん」化したということをここに書いたら、部員たちからいろいろと質問が出た。(不思議にも、というか当然にもというか誰からも「抗議の声」がなかった。)
その中に「おじさん」とは何であるのか、ちゃんと定義してほしい、というものがあった。
よろしい、お答えしよう。
「おじさん」と「おばさん」というのはジェンダーの理念型である。
ジェンダーというのは文化的な擬制であって生物学的な性差にはかかわらない。
「男のおばさん」もいれば、「女のおじさん」もいる。
「男のおばさん」という理念型の最初のアイディアを出したのは、いまから15年くらいまえ、たしか浜田雄治君が竹信悦夫君を評して言った言葉であったかに記憶している。
浜田君も竹信君も知らない?
そうだろうね。
浜田君というのは「そういうことを言いそうなひと」で、竹信君というのは「そういうことを言われそうなひと」だということだけ知っていればとりあえずはよろしい。
「おばさん」は思想とかイデオロギーとか理念とか、そういうバーチャルなものにぜんぜんリアリティを感じず、快不快とか美味いまずいとか面白いつまらないとかいう「身体実感」を軸に世界経験を分節する体制のことである。
特徴は「にべもない」ということと「詮索好き」ということにあり、その点では学者向きのジェンダーとも言える。企業では営業ではなく総務とか人事部門向き。手仕事主体のアルチザン型。リーダーシップはまるでないが執念深く打たれ強い。
典型的キャラクターはみの・もんた。
「おじさん」はその逆。身体実感よりも概念主導型で、夢見がち。詩とかファイン・アートとかポール・オースターとかが好きである。
特徴は「定型的思考」を「定型的語り口」で反復することに強い快感を覚えるということである。
夏の夕方の風呂上がりにビールをのみつつ枝豆を食べてナイターで巨人戦を見るようなタイプがこれである。
これらのファクター(風呂とか枝豆とかは)それ自体はジェンダー・フリーなのであるが、これらの連合はある定型をなぞっており、その定型の模倣と反復のうちに快感を見出すのが「おじさん」である。
この人たちのうちには日経や東スポや司馬遼太郎やレイモンド・チャンドラーを愛読したりするものが多いが、そのもの自体を愛しているというよりは、そのようなものを愛している「みぶり」の定型性を愛しているのである。
したがって「おやじギャグ」と呼ばれるものは、切れ味のよいギャグの単発ではなく、泥臭いギャグの「百連発」というような反復のかたちをとる。
これは最初はぜんぜん面白くないのだが、反復回数がある閾値を超えると、痙攣的に笑えてくる。(阿片と同じである。)
典型的なキャラクターは内田百間。
一応これを典型事例として、それからの逸脱型として「少年」「少女」「人外境魔人」などがある。
本学合気道部の場合は女性の「おばさん」比率がきわめて低い。(約一名しか思いつかない。そう、あの人である。)
江口さやかさん、ごんちゃん、などが「少年」という少数派の異類に属しており、谷口なをさんが超レア・アイテムの「少女」である。「人外境魔人」はもちろん「魔法使い」の佳奈ちゃんである。
この分類方式のほうが「動物占い」より汎通性が高いと思うのだが、どうであろう。
(2000-04-10 00:00)