3月29日

2000-03-29 mercredi

フロイトの読書会で『精神分析入門』を読む。
なんでいまさら、とお思いでしょうが、近年の女子学生の「基礎知識」はほとんど壊滅的な状態にある。学生の60%は私の中学二年生時の読書量に及ばないという「知的荒廃」が進行中なのである。
マルクスもフロイトもフッサールもニーチェもデカルトもサルトルも・・・読んでない。そのわりには「ジェンダー」だとか「ポストモダン」だとか「ファロス」だとかいうことは小耳にはさんでいる。
もちろんそういうものを読むことも必要であろう。私はべつに柄谷行人やテリー・イーグルトンを読むなといっているのではない。
ただ、それよりももっと効率的な読書があるよ、といっているにすぎない。
ラカンをよむひまがあったらフロイトを読む。アルチュセールを読むひまがあったらマルクスを読む。デリダをよむひまがあったらデカルトを読む。その方が、時間がかからず、ものごとの本質にたどり着くことができる。
「賢い人は話が早い」から。
というわけで「古典に親しむ」読書会では今後マルクス、フッサール、ニーチェなどを読んでゆく予定。参加希望者はどなたでもどうぞ。

昨日の朝日新聞の学芸欄に読売新聞社主の勤労動員されていた高校生時代の読書リストが出ていた。カント、デカルト、パスカル、ダンテ、ゲーテ、西田、和辻などを読みまくっている。批評家がこれを評して、むかしの高校生はたくさん本を読んでいて偉いという風に書いていた。
けれども、これだけ読んだあげくが「ナベツネ」である。
本なんか読んでもひとは賢くならないという峻厳な歴史的事実の前に私たちはうなだれるほかはない。