ロール・キャベツを作る。
なぜロール・キャベツを作るにいたったかについてはいろいろあるのだが、それはともかく。
はじめて作ってみたが、なかなか美味である。
キャベツ料理を思いついた理由のひとつは、先日の極楽スキーの会で「愛のキャベツ話」というのが盛り上がって、大笑いしたことである。
どういう話の流れだったか忘れてしまったけれど、最後の夜の宴会で、ワインなどをごくごく頂きながらみんなでおしゃべりしていたときに、私が自分の性格の悪さの証明として、こんな経験をしたことがあるというお話をした。
はたちを少し過ぎた頃、私は「美人ですごく性格の悪い女」とつきあっていた。(当時の私は「地味めだが性格のよいひと」と「ど派手だが性格の悪いひと」と交互に交際するという傾向があったのである。このときは後者)
私も性格のよくないひとなので、この関係はほとんど恒常的に熱いヘゲモニー闘争と冷戦状態の繰り返しということになって心の安まるひまがない。
そんなある日、私たちは例によってつまらぬことから言い合いをして、例によって彼女がドアをばたんと締めて帰ってしまった。
私はこういうときに後を追っても、ただ路上で口喧嘩を続けることにしかならないことを経験的に熟知していたので、そのままほおっておいた。
そして、言い合いでお腹がすいてしまったので、いそいそとエプロンをつけて「エースコックのワンタンメン」の作成にとりかかったのである。冷蔵庫をみるとしなびたキャベツが転がっている。これをラーメンに入れようと、取り出してまな板の上でとんとんと刻んでいたら、ドアが開いた。
彼女はなぜおまえは走り去る女の後を追って来ないのか、この薄情者と文句を言うためにわざわざ戻ってきたのである。
痴話喧嘩のあと、女が走り去った部屋に残された若い男が
夕焼けに見入る
煙草を吸う
ウイスキーをあおる
大音量でロックを聴く
詩を書く
などというのは彼女の美意識からすると許容できるというか、なかなか好ましい絵柄である。(それを見に来たわけだ)
しかるに、彼女がそこに見出したのは、エプロン男キャベツを刻むの絵柄だったのである。
ラーメンを食べるのは許せもしよう、しかし「キャベツを刻んで」いては許せまい。
こうして私たちの愛は終わったのである。
するとあろうことか、「キャベツが縁で愛が終わった」話をおふたりが続けたのである。
A先生は「キャベツのグラタン」を作って恋人と食卓を囲んでいたとき、ホワイトソース仕立てのグラタンに男がものもいわずに「お醤油」をじょーっとかけたのを見た瞬間に「愛が終わった」という悲しい話をしてくれた。
B先生は「ロールキャベツ」を作って恋人と食卓を囲んでいたとき、「君の作るロールキャベツは世界一だよ」という言葉を男が発するのを聞いた瞬間、「この男、美味しいものを食べたことがないのね」と知って「100年の恋いがさめた」という悲しい話をしてくれた。
しかし、この愛の終わりの遠因には「思わずお醤油をかけられてしまうグラタン」と「美味しいはずのないロールキャベツ」をつくって恋人に供した彼女たちのがわの料理人としての適性の問題も若干はかかわっているのではないかと思うのは私一人だろうか。(あ、ごめんなさい。ぶたないで)
しかし、もっとも壮烈なのは四番目のケースなのだが、これはあまりに壮絶な話だったので、全員の記憶に堅く封印されてしまったのだ。
(2000-03-20 00:00)