2月23日

2000-02-23 mercredi

家賃を払って、多田先生の記念祝賀会の会費を送金したら、貯金の残額が3万円しかない。今日が給料日なのに・・・
なんだか先月はずいぶんお金を使ってしまった。
まだまだ支払いが山のように残っているし、スキーにも行くので、今月はめちゃ貧乏だ。通帳の残高のところに累々と△が付いていると、なんだかせつなくなる。
そういうときは、アーバンの株が店頭公開されて厚い札束をへへへと弄んでいる自分の姿をイメージして乗り越えることにしている。
単なる現実逃避なのかもしれない。
しかし、私は「貧乏に強い」体質なので、こんなことではへこたれない。
貧困と貧乏はちょと違う。
小田嶋隆の定義によると「貧困」とは「ボンカレーを食べなければならないような生き方」のことであり、「貧乏」とは「ボンカレーを美味しいと思ってしまうような生き方」のことである。
私はボンカレーも「サッポロ一番みそラーメン」もモスバーガーの「ロースカツバーガー」もことごとく「美味しい」と思ってしまうのであるが、これはやはり生来「ビンボー」ということであろう。
まあよい。今月は豚肉ともやしが中心のめにうがドミナントになるであろうということにすぎぬ。(それに私は豚肉ももやし大好きなのだ)

合気道のお稽古に急いで学校に行ったら、某先生に呼び止められて、大学改革のことについていろいろお説教をされた。
この先生は「困った人」なのであるが、現在の大学をめぐる状況がさまざまな社会的ファクターの複合的な結果であるということがどうしても理解できず、誰か「悪意」をもっている人間が大学を滅ぼそうと画策しているというふうにしか考えられない。
そして、この方によると、すべては私の「陰謀」だということになるようである。
しかし、この陰謀説はやや論拠に弱いところがある。
「陰謀」という以上は、それによって私が「私利私欲」のために策動しているはずなのだが、改革によって私自身が眼に見えるような利益を得ないことがこの方にもぼんやりとは分かるらしいからである。
だって、改革によって私の労働は強化されるばかりだし、責任だけが増えて、権限とかお手当とかいうものはまるで増えないからである。
それに現に私が学長とか学科長とか教務部長とか研究科委員長とかを「傀儡」として「ふふふ」と背後から操っているのであれば、すでに私はこの大学の事実上の「支配者」ということではありませんか。それ以上の何を望むでしょう。
先方もそのへんがよく分からないらしい。
というわけで、私がフランス文学の講義をさぼって、楽ちんな比較文化の講義でお茶を濁そうそうとしているとか、仲良しの難波江さんと同じ学科になりたがっているとか、そういう私的動機がからんでいるという非難をご用意されていた。(しかし、そんなせこい理由で大学改革やろうとする人がいるだろうか?)
たしかに状況が激変しているときに「すべてを説明できる単純な原理」を求めたく思うのは人情の常である。
フランス革命のあと、それまでの特権を奪われた貴族たちは、なぜこんなことが起こったのかどうしても理解できず、フランス革命そのものが「誰かの私利私欲のための陰謀」であると考えようとした。
そのときに「フランス革命の元凶」として実に多くの個人、団体がご指名の栄にあずかった。フリーメーソン、プロテスタント、イギリス政府、バヴァリアの啓明結社、聖堂騎士団、ユダヤ人などなど。
もっとも有名なのはエドゥアール・ドリュモンが『ユダヤ的フランス』で展開したロジックで、彼はその長大な書物の冒頭にこう書いた。

「フランス革命で利益を得たのは誰か? それこそがフランス革命を準備したものである。すべてはユダヤ人の利益に帰した。ということはフランス革命を画策したのはユダヤ人だということである。」

この愚劣なロジックをまともに受け取ったひとが当時のフランスには何十万人もおり、そのせいもあって、半世紀あと、彼のロジックはナチによる600万人のジェノサイドに結果したのである。
この「陰謀史観」を私は知的退廃のもっとも悪質なかたちだと思う。けれどもあまりにも多くの歴史的ファクターが錯綜しているときに「簡単な説明」にすがりつき知的負荷を軽減したがるのは、あまり知的でない人にとっては仕方がないことかなというふうにも思う。
でもさ、うちの大学の改革なんて、関係している人間が教員90人しかいないんだよ。
その人たちはみんな(少しずつ考え方は違うけど)「せめて自分がいる間は大学が潰れないでほしい」と必死に願っている。その願いを「私利私欲」というだろうか?
それらのファクターの複合的な効果の政治力学の中でいろいろなことが決まってくるなんてことは誰にだって分かる。
変数が最大で90しかないんだから、ちょっと頭使えば全体の政治的布置くらい分かると思う。
何で私一人の「陰謀」でぜんぶが動いているなんて思うんだろう。
それほどまでに知的負荷を軽減したいのだろうか。(たぶん)
それほどまでに頭が悪いのだろうか。(ひえー)
あるいはもしかするとほんとうにこの方が言うように、私はこの学園の「影の大番長」なのかもしれない。(本人も知らないうちに。やほー)