日本文化学専攻の修論発表会。私が指導教官をしている院生はいないのだけれど、お招きいただいたので、見に行く。
だしものは、原田加代子さんの「河原操子―100年前の日本語教師」、西井久美子「賀茂家と宿曜師―暦家賀茂家と慶滋保胤を中心に―」、吉野華恵「近世日本における捨子の社会史」。楽しみにしていた大橋さんの「村上春樹論」はご本人が病気のため聴けなかった。
三人とも修士論文としては十分に厚みのある論考で、感心させられた。うちの若い衆(古田、古橋)は来年これくらいのレヴェルの研究発表をしてくれるだろうか、ちょっと焦ってきた。おいらが焦っても仕方がないのだが。
三つの発表のなかでは吉野さんの発表がいちばん刺激的だった。「捨子」というのはイタリア史の高橋友子先生のご専門だが、「子供を捨てる」というのは、単純に(生活が苦しいから育てられない)という経済的理由だけに発する行為ではなく、当然、「こども」という概念がそれぞれの時代にどのような幻想性を帯びていたのかに大きく依存している。
30年ほど前、アナール派のフィリップ・アリエスはその『子供の誕生』で、現在のような「こども」という概念(親によって養育、保護、教化されるべき十分に社会化されていない人格)が「おとな」とは峻別されるべきものとして確立したのが17-18世紀頃のことであるという仮説を提示して大きな議論を呼んだ。
当たり前のことだが、誕生した瞬間から死ぬまでのあいだの人間の身心の変化はまったくアナログ的なものであり、そこにデジタルな分節線を引くことは恣意的な記号化の行為であって、どういうふうに、いくつに分節するかは、それぞれの文化的集団がそれぞれの事情で、どのように決めてもよいのである。
もちろん生物学的に歴然とした身体的なメタモルフォーゼの徴候はある。
「自力で移動できる」「自力で捕食できる」「精通・初潮がある」「生殖能力がなくなる」「歯が抜ける」「自力移動ができなくなる」など、どの社会でもいちおうそれを基準にしてアナログな変化を分節している。
記号学的に言えば「こども」というポジティヴな項は存在せず、「こどもならざるもの」との示差性によってその概念はネガティヴに規定されるだけである。だから「捨て子」という営みによって「捨てられたもの」は実体的には0-3歳児であるわけだけれども、捨てる側がそれを「なにもの」と観念していたのかは、それぞれの時代、集団によって微妙に異なっていたと考えられる。
吉野さんの論考は、その「子供とは何か」という意識の変化の心性史に着眼していて、その点で私にはたいへん面白かった。
しかし、隣にいた上野先生はマルクス主義者なので、当然のように「心性史」というようなものが、生産関係、社会構造と相対的に独立して推移してゆくというアイディアを認めてくれない。捨て子を生み出した社会構造への分析が足りないと言うご指摘である。
そこで吉野さんを放り出して、上野先生とふたりで議論してしまった。
「心性とか性的幻想とかいうものは、社会構造や生産関係と直接的な因果関係はなく、多様なファクターの複合効果として出現するものですから、社会関係から『説明』しろというのはむりですよ」と抗議したのだが、「重層的な決定」というアイディアははねつけられてしまった。むきになって、「じゃあ先生はフーコーの仕事を認めないんですか?」と詰め寄ったら、「あんなもん、ふ」と鼻で笑われてしまった。
うーむ。レヴィ=ストロースが『野生の思考』でサルトル派を木っ端微塵にしたとき、マルクス主義者たちは「構造主義はブルジョワ・イデオロギー最後の砦」であるとして、レヴィ=ストロースとかバルトとかフーコーとかラカンの頭上には、「ベトナムの水田、アンデスの高地、アフリカの砂漠」からヨーロッパに血路を拓いて攻め寄せるプロレタリアの怒りの鉄槌が下るであろうと告知したが、あの死刑宣告はまだ有効だったのだった。
マルクス主義者の志操堅固にはほんと頭が下がります。いや、ほんとに。いやみじゃなく。
そのあと院生諸君との「打ち上げ」に参加。上野先生とさらにデスマッチを繰り広げようと思っていたのだが、先生は風邪気味でリタイア。残念。
制止するひとが誰もいないので、院生を相手にひとり勝手に吹き上がる。昨日の主な主張は「研究者はすべからくフィールドワーカーたるべし」という説教。
フィールドというのは、私の勝手な定義によると、「一回的・再生不能なデータ」のことである。繰り返し同じデータにアクセスすることが構造的に不可能であるようなデータ群を私は一括して「フィールド」と呼んでいる。
したがって、研究対象が「消えもの」であるような研究はすべてフィールドワークである。
そして、研究のオリジナリティはやはり「消えもの」との「一期一会」のコンタクトから発生する確率が圧倒的に高いのである。
もちろん公開されたデータだけを利用してまったくオリジナルな研究をするひともいる。けれども、そのような人たちも、実はどこかにその研究テーマとは直接にはかかわらないけれども「フィールド」を持っているのである。(通常は「一期一会の師弟関係」というかたちで)
「移ろうもの」に対しての集中。いまが一度だけのチャンスで、それを逃したらそのあともう一生経験できないものと直面しているとき、私たちはそれを全身で享受し、すみずみまで記憶に刻み込もうとして全身全霊をあげて集中する。
そのような経験のあり方を私はフィールドワークと呼んでいるのである。
そのほかフェミニズム批判とか私の本来的「おばさん」性についてとか、いろいろ語ったようにも記憶しているが、ワインをごくごく飲んでいたので、あらかた忘れてしまった。
(2000-02-17 00:00)