2月4日

2000-02-04 vendredi

また会議。
でも今日の会議は「たのしい」会議。未来を語るためのミーティングだからである。
なんだかんだいっても「システムの組み替え」ということに私たちが夢中になるのは、そこには「レゴ」とかと同じような、一種の「積み木遊び」の要素があるからなのだろう。

風邪はだいぶ治ってきたけれど、まだ咳が止まらない。
風邪をひいていると、声が変な声になる。
むかし小学生の頃、私はかなりひどい「どもり」だった。ところが、風邪をひいて、声が「自分の声ではないみたい」になると、なぜか「どもり」がぴたりとおさまる、ということにあるとき気が付いた。
そのままぼけっと成長して、「どもり」もいつのまにか治って、ずいぶんおじさんになったあと、レヴィナス先生の『逃走について』というテクストを読んでいるときに、その理由が分かった。
私の「どもり」は「私が私であることの息苦しさ」に苦しみ、「私が私の声でしゃべっている不快さ」から一刻も早く逃れようと、している「逃走」のあえぎだったのだ。
だから、私の声が「他人の声」みたいに聞こえるあいだは、「私は私でしかない」という悲劇的状況を忘れることができて、つかのまの自由を味わっていたのである。
そう考えると、長じて、私が「どもり」でなくなったのは、自分でしゃべっている声はともかく、その内容が「ぜんぜん自分のものとは思えない」ようなことばかりしゃべるようになったからに違いない。
「ぜんぜん自分のものとは思えないようなこと」だけを選択的にしゃべり続けているうちに、私はひとから好かれるようになり、ときどきは尊敬さえされるようになった。
「どもり」も治ったし、いいことづくめなのだが、ときどき私のことを「うそつき」とかいって怒るひとがいるのが困る。