月曜、水曜、金曜と一日おきに会議がある。大学というのは会議が多いところだとよくいわれるが、ほんとに多い。基本的に組織が「上意下達」の指揮系統になっていないで、なんでもかんでも合議制なので、しかたがない。「デモクラシーのコスト」というやつである。
ときどきうんざりして、「賢い独裁者に全権を委譲したい」と思うことがある。
大学には指揮系統がない。役職者というのはいるが、責任だけあって権限のない気の毒なポストである。学長が「全学のラディカルな再編」を呼号しても、みんな知らん顔をしている。ほんとうに気の毒である。
したがって会議がふえる。
会議といっても、「鶴の一声」を出せる人が誰もいないので、があがあうるさいばかりでさっぱり話がまとまらない。
大学での会議の困ったところは、「意見の対立」がいきなり「知的競合」の相をおびることである。
自分の意見に反対されると、自分の学問的業績や知的資質を否定されているような気になる人がいる。そういうひとは、誰も相手にしない変ちき論をいつまでもいつまでもしつこく唱えてマイクを離さない。たぶん本人は地動説を否定されたガリレオの気分なのであろう。
だいたい、それほどたいした議論をしているわけではない。
しにせのうどんや「英文庵」の客足がさいきんぱっとしない。隣の無国籍料理「そーぶん亭」としては、隣が閑古鳥では商売に触るので、おせっかいとは知りつつ
「な、英文はん、おたくの寛永年間以来の『こぶうどん』一筋というのもわからんではないけどな。『カレー南蛮』とか『たぬきうどんと小カツ丼』とか、そういう若いひとの好きなめにうも、ちょっといれたらどないなもんかいな。そういういちげんのお客さんがやな、『なんや、こぶうどんて、ちょっと食べてみよか』となるんちゃう」
と忠告したら、老舗のだんなは偉い剣幕。
「あんたとこな、いいたかないけど、なんやねん。あの思想性のないめにうは。フランス料理のデザートに大福出したり、フォワグラのつきだしで吟醸酒のませたり。奇をてらってお客にこびるんはみっともないで」
「奇をてらってるんと、ちゃうわい。脱領域的ヌーヴェル・キュイジーヌやんか。」
「なにが脱領域や、だいたい戦後のどさくさにうちの先代が軒下貸して『やきいも』させたんがあんたとこの先代や。世が世なら、あんたとこはうちの手代丁稚の格や、図に乗ってひとの商売に指図せんとき」
まあ、だいたいそういう感じである。
ぜんたいにそれほど知的な話をしているわけではない。めにうの改善とか、板さんや食材の貸し借りとか、共通スペースの有効利用とか、ロゴの統一とか、そういう話である。
なかなかそれでもまとまらない。
困ったおいちゃんおばちゃんたちや。
(2000-01-27 00:00)