うっかり「腰が痛い」などと書いたら、マンチェスターや札幌から「お大事に」と掲示板に書き込みがあった。どうも、うかつなことを書いて、あっちこっちに心配をかけてしまった。ご心配おかけしてすみません。
私としては「サイバー壁新聞」にだらだらと愚痴やら泣き言やら私憤やらを書いているだけなのだけれど、筆が滑ると(キーが滑るとかな)思わぬところに困る人や心配する人や怒り出す人がでてくる。自戒せねば。
無名ゆえの特権というのがあって、紀要論文なんかにどれほど有名学者の悪口を書いても、だれからも異議申し立てがこないし、反論もされない。(来ても、難波江さんとか飯田さんくらいからだし)悲しいといえば悲しいが、お気楽と言えばお気楽である。
まえにいちど某出版社から本を出しましょう、というので原稿をもっていったら、私の書いたなかに板垣雄三という東大の先生のことを批判した箇所があって、「板垣先生はうちからも本を出しているので、これまずいから削ってもらえませんか」と言われたことがあった。びっくりしてそのまま逃げ帰ってしまった。出版社というのも不自由なものである。
さいわいこれから出る二冊の本で扱っているのは、ほとんど物故者ばかりであるから、何を書いても本人から文句をいわれる心配はない。
しかし、海外の有名人はいくら批判してもよいが、国内の二流三流の学者のことは批判してはいけないというのはなんだか倒錯している。学会発表なんかでもそうである。口頭発表は、「レヴィナス」とか「カミュ」とかえらいひとのことは呼び捨てにするくせに、業界のひとの学説を引用したりするときは「*** 先生がこのようにご指摘になっておられる」なんていうわざとらしい敬語を使うのである。そういうのって、なんだかかっこわるいぜと私は思う。
むかし私のいとこの「やっちゃん」が東京でDCブランドをやっているとき、そのロゴマークの「Y」がまるごとイブ・サン=ローランのままであった。
「これ、文句言われないの?」とわたしがびっくりして訊ねたら、
「イブ・サン=ローランから『商売の邪魔だ』だといわれるようになったら一人前だよ」と笑っていた。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
というわけで私は今後もホームページで内外の知的セレブリティたちを、「本人から文句を言ってくる」まで俎上にのせつづけるであろう。(文句いわれたらもちろん「ごめんなさい」とはいつくばりつつ、「なんだ、読んでやがんの」と笑いながら逃げ出すのである。)
(1999-11-25 00:00)