18 nov

1999-11-18 jeudi

なかなか風邪がなおらない。
昨日はオフのはずが、ゼミ面接の追加、人間科学部の第三者委員面接、杖の稽古、ACA(芦屋国際交流協会)の委員会と四つも用事があって、ふだんの日より疲れてしまった。

ゼミ面接はなんやかやと40名。一人一人に「志望動機と自己PR」なんかしゃべらせて、なんだか就職試験みたい。しかし、みんな言葉遣いが「貧しい」。
友達と話すときとは違う語法で話さなければならない場合というのがある。それは単に敬語をつかって話すという意味ではなく、友達と話すようにしては話せない主題というものがあるからなのだ。自分の学術的関心のむかっている領域とか興味のある現象などについては友達同士の親密な語法で話すほうがむしろ難しいということが彼女たちは分かっていない。
しかし彼女たちは一つしか語り方を知らない。友達と映画や音楽の話をするように話す。つまり断片的な印象を単語でばらばらと語り、それに対して「そうよねー、わかるわー」という相づちが来ることを期待している。
しかし、私はもちろんそんなことは言わずに、「もっと具体的に言うと?」とか「例えばどんな作品?」とか「それについてメディアで流通している情報のどこに君は不満を感じているの?」とか友達からはふつう返ってこないような種類の反問をぶつける。とたんに彼女たちは絶句してしまう。
メッセージが断片化していて、構造化されていない。ある主観的な印象をもつことはできる。(ときにはなかなかシャープな印象でさえある。)けれども惜しいかな、それを分析したり、深めたりするための「省察の言葉」が欠落している。
オースチンの用語を借りれば、彼女たちの用いる言語は過剰に communicative であり、cognitive な機能が弱い、ということだ。
それはたぶん読書経験の決定的な不足のゆえだろう。「語り言葉」で語れることのほかにこの世には「書き言葉」でしか語れないことがある。それは読書経験をつうじてしか培われないような言語なのだ。
読書をするということは「発音できないし、日常会話ではまず口にすることも耳にすることもないが、字だけは知っているような言葉」をたくさんつかって情報を得、思考するということである。いわば「書き言葉という外国語」を使う「バイリンガル」になるということである。
私は本を読んで「書き言葉」を習得することのほうが、ネイティヴについてコミュニカティヴな英語使いになることよりも知的には重要な教育だと思う。それをいまの学校教育はあまりに等閑視してはいないか。
おっと、こんなところで悲憤慷慨してもはじまらない。ゼミに来る諸君には厳しい修行の日々が待っておるから、楽しみにね。

もうひとつ、人間科学部の人事のために面接をする。とてもフレンドリーで、紳士的な方だった。
医学部の先生なのだが、いまの医学部教育の話になったら、いたく慨嘆されていた。高校で理科系の勉強ができたというだけの受験エリートたちがどんどん医学部にやってくる。しかし医師にとってまず必要な能力は患者とコミュニケーションをうちたて、心身にかかわる多様な情報を短時間のうちに獲得することである。それがまったくできない若い医師がどんどんふえている。患者に語りかけられず、患者から有意な情報を引き出せず、やむなく機械による検査をやたらにして数値化された情報をかき集めたが結局診断を下せないという無能な医師が量産されているそうである。
さまざまな経験を積んだ成熟した「大人」のひとこそ医師にならなければいけないのに・・・となげいておられた。なるほど。
文学部を出て営業マンをしてから医学部に入り直した、というような人の方が医師としては適性が高いのかもしれない。(ドクター北之園がそうである)うちのゼミを出て看護婦になったひともいた。これはなかなかいいかもしれない。誰か卒業生で医学部に行く人いないかな・・・おおそうだ、石橋君! 君、ぴったりだよ。受験勉強のプロだし。医者向きのキャラクターのような気もするなあ。今からでも遅くはない、医学部を受けなさい。

というわけで(ああつかれた)杖のお稽古を途中で鬼木先生におあずけして、芦屋の委員会にでかける。(先生どうもすみませんでした)
なぜ芦屋市民でもない私がいまだに副委員長なんかをしているかというと、元人間科学部の五十嵐先生が委員長だからなのだ。五十嵐先生には95年のフランス語研修旅行のときにはローザンヌで、96年にはパリでまたまた学生ともども夕食とワインをご馳走になったという大恩があるので、お断りできないのである。
それに五十嵐先生はほんとうに「大人のおじさん」であって、そばにいると「大人のおじさんのそばにいることの安らかさ」というものをしみじみ感じてしまうのである。こういうことをいってもあまり分かってはもらえないでしょうけどね。そういうのってあるのよ。