29 Oct

1999-10-29 vendredi

96 年度卒業生の石森君が長崎に帰郷するとて、別れの挨拶にくる。律儀なひとである。
3年半兼松でOLさんをしていたのだが、部署の統廃合を機に、はなやかな虚飾の都(というほどでもないが)を去って、水と空気のきれいな故郷に帰って、家業を手伝い親孝行のみちを邁進するのだろうである。
いまどき珍しい孝行娘である。あまりに言うことが偉いので「えらい」とほめてあげる。
こうなったら家業を継いで、親のめがねにかなった地元の好青年(浜田光夫)と見合いで結婚、半年アパート住まいののち、妊娠を機に自宅にもどり、「サザエさん」暮らしをするというところまで予定調和的に「昭和30年代日活青春映画」をやったらどうか、と勧める。けらけらわらっていたが、そういうのはこれからなかなかいいと先生は思うよ。いや、ほんとに。
96年度の卒業生たちは11月27日に福山で挙行されるK井K奈さんの結婚式に大挙して集合するようなので、そのまま現地で「同窓会」をすることになった。幹事はまたも石森嬢である。よろしくね。

会議が終わってD館をでてきたら、学長と会う。学長が笑いながら「ホームページ見ましたよ」と話しかけてきた。このあいだの「塾として生き延びるよりは、大学として死にたい」というのをお読みになったようである。
「大学として死ねるかしらね」
とぽつりとひとこと。
やっぱダウンサイジングですよ、それっきゃないすよお、と図書館のまえを歩きながら持説を語る。
時代はあきらかに「レトロ」に動いている。21世紀なかば、人口が減り、高齢化がすすみ、文化が爛熟し切り、そしてけっきょくみんなが漱石を読みながら謡曲をうなるような社会になるのである。海岸はふたたび白砂青松となり、空は澄み、山は深まり、ひとびとは草鞋で山道を歩きながら考えたりするようになる。工業団地は草ぼうぼうとなって狐狸の類が跳梁跋扈し、摩天楼は蝙蝠の巣窟となり、青白い月を見ながら遠吠えする狼の声に、ひとびとはひしと抱き合って闇を凝視するようになるのである。
いいなあ。そういうの。