このところ毎週一回NOVAに通っている。150ポイント買ったのが、途中でどかんと9ヶ月も休んでしまったので、ごっそり残っていて、期限まであと4ヶ月。使い残すのがくやしいので、必死に通っている。
しかしずるこい商売ではある。ポイントを先払いさせおくシステムだが、買ったポイントを全部使い切っているクライアントがいったい何%いるのであろうか。おそらく二割程度ではないのか。
うちの甥(高校一年生)が親にねだってNOVAに通うことになった。買うポイント数が少ないと単価が高い。たくさん買うと劇的に単価は安くなる。当然、向こうはたくさん買わせようとする。甥も単価が安い方が得だからたくさん買えと親にせがむ。
しかし兄ちゃんはシビアなビジネスマンなので、単価は高いが最小ポイント数を購入した。(それでも十数万円)。案の定、甥は二回通って止めてしまったそうである。
すごい単価だ。ワンレッスン10万円。
先の見通しが立つ自分の炯眼を喜ぶべきか、ドブに捨てた金を悲しむべきか、兄ちゃんは途方に暮れていた。
そういうアマキンなクライアントでごっそり稼いでNOVAはめでたく一部上場である。
それはさておき、そういうワイルドなビジネスをしているせいか、NOVAにはときどきかわった先生がいる。
最近よく当たるのはヴェロニックという若い女の先生。(昔も同名の先生にあたったことがあるが、これがひどい女だった。うっかり名刺を渡したら、家にひっきりなしに電話をかけて愚痴をこぼす。なんでおいらが夜の夜中にフランス語の愚痴をきかなきゃいけないのさ。そのうちにだんだん妄想がひどくなってきて・・・けっこう『ミザリー』な思いをしたことがある。)
今度のヴェロニックはなかなか知的な美人で、パリのバンリューで移民たちにフランス語を教えていたという無着成恭「やまびこ学級」みたいな人である。
「バンリュー」というのを知っているかと訊くので、「よくは知らないがヴァンサン・カッセルの出た『憎しみ (La Haine) 』という映画は見た。ああいうところ?」と答えたら「まさにあのロケ地の団地の学校」ということであった。それはワイルドだわ。
しかし根はいまどきレアな文学少女で、ロラン・バルトやアントナン・アルトーやウラジミール・ジャンケレヴィッチなどについて熱く語る。
今日は現代フランス文学が偉大さを失ってしまったことについて慨嘆していた。絶望について語ることが凡庸なしぐさである時代においては希望を語ることこそが困難であり偉大な仕事なのである。作家は憎しみや無力さや空虚さについてではなく、いまや力と希望について語る語法を発見しなければならない。おおこれではまるでニーチェではないか、しかし「ファシストにならないニーチェ」のうちこそ文学の未来はあるのではないか。
エグザクトマン、私もあなたと意見を分かち合うものである。しかし、それってもろモーリス・バレスだな。
(1999-10-26 00:00)