なぜかいろいろ思いついてしまったので、今日はちょっとエッセイ調だ。
『私と能楽』
東京にいた40年間、能とは何のかかわりもなく過ごしてきたのに、女学院に来るなり学生たちに能や囃子を稽古しているひとがまわりに何人もいて、そのひとたちのお招きで、ぽつぽつと能楽というものを見に行くようになった。
最初はお義理で行っていたのだが、とにかく能のお囃子とお謡いを聴いているとよく眠れる。「謡の声からはアルファー波が出ているに違いない」と決めて、秋冬の週末になると昼寝に出かけた。
しかし、ふしぎなもので、そのうちに次第次第に眠っている時間が減ってきた。そして、見始めて三年目くらいのある日「舞台を見ている時間」と「眠っている時間」の比率が逆転。五年目くらいでついに能三番、最初から最後まで覚醒という驚くべき経験をした。
そのころになると、少しずつ能楽師や囃子方の個性や芸風も分かってきて、能楽論なども読むようになり、ちょっとした「能楽ファン」になる。
同じ頃、合気道の修業上、どうしても他芸を参考にしたくなり、居合道と杖道を稽古し始めたのだが、それらの基本となるはずの体の運用(単純に「歩く」「座る」「立つ」「回る」「手を挙げる」「手を回す」といったしぐさ)について、あらためて、「これでよいのだろうか」という疑問が兆してきた。
そして、ついに「能楽は600年前の日本人の身体運用のかたちをとどめいているはずだ」と思い至り、ここに武道上の探求心と能楽ファンのミーハー心理があわせてひとつとなったのである。
では能楽の所作と武道的な身体運用のあいだにはどのような関連があるのだろうか。
管見の及ぶ限り、能楽の身体技法と武道の関係を主題的に論じた研究のあるのを知らない。(もちろんどこかにはあるはずである。知っている人がいたら教えて下さい。「管見の及ぶ限り」って、別にえばっているわけではないのです。ほんとに「短見」にして「寡聞」のひとなの、私は)
しかし能楽が武家の技芸であった以上、武道と能楽の身体技法のあいだに深い内的な連関があることは自明である。
ただ、その場合に注意しなければならないことは、能を舞う武士にとって、武術的な身体運用は彼の「自然」であり、無意識的な日常の所作にすぎず、それに対して、能楽の動きは「技巧的に習得すべきもの」であった、ということである。
つまり能楽には、武術的な身体運用の常識からはずれた「不自然な動き」が含まれているはずのである。
例えば仕舞の最初と最後にとる座構えでは右膝を床について、左膝を立てる。これは武道の常識には反している。左腰に剣を差している以上、抜刀は通常右膝を立ててなされる。それゆえ帯刀しない武術の場合でもまずほとんどの場合、座構えは左足を後ろに引き、右膝は最後まで立てていつでも抜刀できる体勢を確保するのが「常識」である。能楽の構えはその「常識」に違反している。
これはあるいは、対座した場合、刀を右側に置き、すぐには抜刀できない状態で害意のないことを示す礼法と同じく、舞い手が害意を持っていないことを示す儀礼なのかもしれない。
となると、能楽の動きの中には、武術的に無効ないし不利な動きが(なんらかの配慮によって)意識的に組み込まれいている可能性がある。となると、それとしらずにそのような身体運用を有益であると思いこんで習得することは武道的には有害だということになる。
これが能楽を武道的に解釈するときのリスクである。
能楽の動きのなかには私たち現代人にとって異質の二種類の身体技法―「武術的」な動きと「非 - 武術的」な動き―が含まれている。
武道を志すものとしての私の仕事はそれゆえ、能楽の動きのうちの「武術的なもの」を発見し、その理合を理解することだけでなく、能楽固有の「非武術的なもの」が当時の武士たちにとってはなぜ困難であり、それは彼らにとって、いかなる技法上の課題を意味したのかを理解すること、この二つになる。
これはかなり困難な課題だが、なかなかにやりがいのある仕事である。この身体技法の解析が進めば、これまで簡単に「伝統的な日本人の身体運用」としてひとまとめにされてきたもののうち、真に武術的に有効なものと、純粋に審美的なものが分離できることになり、後者は「日本人にとって身体の美とは何か?」というきわめて興味深い問いへの貴重な情報となりうるからである。
今日は手始めなので、具体的な問題をひとつだけ論じたい。
和辻哲郎は能楽にも造詣が深く、鋭い分析を加えているが、和辻が文楽と能楽と歌舞伎を比較したなかに実に興味深い一節がある。
「人形使いが人形の構造そのものによって最も強く把握しているのは、首の動作である。特に首を左右に動かす動作である。これは人形使いの左手の手首によって最も繊細に実現せられる。それによつてうつむいた顔も仰向いた顔も霊妙な変化を受けることができる。ところが、この種の運動は『能』の動作において最も厳密に切り捨てられたものであった。とともに歌舞伎芝居がその様式の一つの特徴として取り入れたものであった。(…) あるいはまた肩の動作である。これもまた首の動作に関連して人形の構造そのものの中に重大な地位を占めている。人形使いはたとえば右肩をわずかに下げる動作によつて肢体全体に女らしい柔軟さを与えることができる。逆に言えば、肢体全体の動きが肩に集中しているのである。ところでこのように肩の動きによつて表情するということも『能』の動作が全然切り捨て去ったところである。とともに歌舞伎芝居が誇大化しつつ一つの様式に作り上げたものである。」(『文楽座の人形芝居』)
式楽としての能楽と大衆演劇としての歌舞伎の根本的な差異を知る上でこれは貴重な指摘であると私は思う。
能楽は人形浄瑠璃と歌舞伎が採用した動きの二つを「切り捨てて」いる。
これはどういうことか。
和辻は武術家ではないから、そういう方向に分析は向かわないが、いやしくも武道をたしなむものにとっては、首を左右に動かし「目付」を示すこと、動き出す前に肩に「起点」をつくることは禁忌とされている。目付はもっとも早い段階で相手に攻撃の意図を察知させ、肩の動きはその次の段階で運動の起点(「起こり」)を察知させる。武道では、「起こりを見せない」ということが最も基本的な技法的課題である。
とすれば、能が「切り捨て」、「歌舞伎」が拾い上げたものが何であったのかということ、能楽と歌舞伎のあいだの、めざすものそのものの違いが何であったか、ということもおのずと分かってくるのではないだろうか。
(つづく)(つづかないかもしれない)
(1999-10-12 00:00)