27 Sept

1999-09-27 lundi

合宿から帰ってきました。ああ、面白かった。
行きは、大嵐。自動車組は円山川の氾濫を恐れつつもけっこう気楽にうどんなどを食べつつドライブ。電車組は山陰線の不通に遭遇して大変な目にあったらしい。和田山で閉じこめられた学生さんたちは宿のマイクロバスで救出されたが、福知山で「先へ進むことも、もどることもできなくなった」松田先生は、6時45分に復旧するまで、7時間余を駅のホームで静かに読書をして過ごされたそうであります。ご苦労様でした。
今回は東大気錬会OBの高雄君が参加。北海道からは瀧さんも来て、たいへん賑やかな合宿となりました。合宿の詳細については「合気道部ホームページ」をご覧下さい。
行きの車中では瀧さんをあいてに、合宿では全員を相手に、帰りの車中はウッキーと林さんをあいてに、ずっと説教をしていたので、さいごはのどがかれてしまった。社のSAで飯田先生を相手に大相撲のビジネス優先主義について仮借ない批判を加えているうちに、ついに息絶える。

家に帰ると、漫研の女子高校生たちが大音量で音楽を聴いていた。先日の文化祭で漫研機関誌(定価 200 円)を1000円で買って上げたので、「ありがとうございました」とお礼を言われる。なになに。お金がないときはおじさんにいつでも言っておいで。
私の姿を見て、高校生たちはみな蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ろうとするので、おみやげに「炭」を分けて上げる。(なぜ私が大量の「炭」をもって合宿から帰ってきたかについて知りたい方は、「合気道部ホームページ」をご覧下さい。)
駅まで送るついでに車中にある大量のお菓子類を分けて上げる。(これはすべて宴会の残り物)。ほんとうは部室でみんなが食べるはずのものなのであるが、管理費として一部を徴集させていただきました。
帰途、「もっこす」でラーメンを食べて(夕食をつくる元気がなくて)、家に帰って風呂にはいったらそのまままぶたが重くなってきて、午後7時に就寝。午前5時半まで10時間半爆睡。
おつかれさまでした。みなさん。