19 Sept

1999-09-19 dimanche

湊川神社に下川先生の能を見にゆく。演目は『高砂八段之舞』。ほかに『羽衣』(上田貴弘)、『道成寺』(笠田昭雄)。狂言は『横座』(茂山千之丞)。大倉源次郎宗家の一調もあって、盛りだくさんのめにうでありました。(チケットも高いけど)
下川先生は神懸かり的に「神懸かり」の役を演じて、最後は完全に住吉の祭神になってしまっていた。やはりステージ・パフォーマーは「憑依能力」がある程度必要であることが分かる。合気道の多田先生も以前「武道家はすぐにトランスできる能力が必要だ」とおっしゃっておられた。武道も能楽も帰する所は一である。

というわけで今回は鬼木先生をご招待。小川さんはマーク・メリー君(日文研の研究員で「もののあはれ」の研究論文を書いていて日本人より日本の文化に詳しいニューヨーク州出身のナイスガイ)をご招待した。男子三人の平均身長が180cmちかくになる。(176cmの私がいちばんちび)坊主頭に片耳ピアスのアメリカ人と三白眼吊り目も怖い杖道家とバリ灼け男。小川さんは「ぬりかべ」三体に囲まれた「げげげの鬼太郎」状態。
帰途、元町の「ラム・ハノイ」で春巻き、唐揚げなどを食しつつ、アメリカと日本におけるイタリア文化のあり方について論じる。『ゴッドファーザー』がアメリカ男性にとってストックフレーズの宝庫であるという『ユーガットメール』のトム・ハンクス説の真義について、イタリア系アメリカ人であるマーク君から有益な情報の提供を受ける。鬼木先生からは鬼がなぜ角があって虎の皮のパンツをはいているか、なぜ桃太郎は「いぬ・さる・とり」を部下にしているのか、雷がなると「桑原」ととなえるのはなぜか、などについて「目うろこ」的な情報の提供を受ける。こういうハイ・ブラウな話をしながら、ごくごくと生ビールをのむ。痛風にビールと脂っけの多い食物はいけないのだが、げらげら笑っているうちに治ってしまったようだ。

家に帰って、でれでれと映画を見る。今日は「フェイク」(アル・パチーノ、ジョニー・デップ、マイケル・マドセン)なかなか面白かったが、とくに言うべきこともない。よくある映画であった。マイケル・マドセンは少し太りすぎだと思う。あんまりデブになると主役がこなくなっちゃうよ。ジョニー・デップは相変わらずチャーミングである。それにしてもジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが両方見られた『ギルバート・グレイプ』はあらためて美少年鑑賞趣味のひとにお薦めの逸品であります。ふたりともかわいいぞ。

元ゼミ生、小川順子さんの『歌行燈』論をアップロード。いずれ本学の『文化論輯』にも掲載されるけれど、ひとあしおさきにサイバー図書館で公開します。