31 August

1999-08-31 mardi

大学に行ってまたいろいろと映画を借りる。
家に帰って見ようと思ったら、子供様がテレビの前にどっかと陣取ってMTVをご視聴あそばされていた。そのままずっと「どっか」が続き、夜の12時になったので、あきらめる。
しかたがないので、よこでワインを呑みながらクリフォード・ギアーツの本を読む。あまり面白くない。いらいらしてきたので、ギアーツの悪口を書くことにした。そしたら少しすっきりした。ギアーツさん、ごめんね。いつもより口調がきついのはチャンネル権を失った哀しみゆえなの。

松下君と電話で『映画は死んだ』の打ち合わせ。松下君はせっかくの夏休みなのに、歯茎にばい菌が入って口が腫れ上がって「50年代のホラー映画」のロン・チャニーみたいになっていて、どこにもでかけられないそうである。気の毒。私が再校の原稿にばりばりと書き足したせいで、索引に新しい映画の題名を書き加えることになってしまったと知って、激怒。病人を怒らせてしまった。書き加えてもらう映画は『秋刀魚の味』。

「何、その映画?」
「えーと、日本の映画なんですけど」
「知らないねえ」
「小津安二郎というひとの62年、松竹映画なんですけど」
「知らないねえ。誰、それ?」

すまない。私が悪かった。

夜、今度は難波江さんから電話。土曜日に上京するから最終原稿を揃えておくようにとのご指示。レヴィ=ストロースのところを少しだけ書き直す。(ギアーツを読んだせいで、レヴィ=ストロースが神聖不可侵であった時代が終わったことを知り、ちょっとしょんぼり。なんとなく「遺徳顕彰」ふうの文になってしまった。)

小川さんに教えて貰って「けんちゃん」のホームページを見にゆく。
「けんちゃん」は小川さんのお兄さんで、京都三条で「京都でいちばんお洒落なカフェ」cafe opal の店主さまである。ホームページを読むと、楽しそうに毎日を送っているようです。「けんちゃん」も私と同じ「サイバー壁新聞」派。おそらく小学生のころは「はったり新聞」とか「おとぼけ新聞」とかいう個人誌を刊行して社説から芸能欄までひとりで書き、朝早く頬をほてらせて小学校の教室の壁に張り出して、みんなが登校してくるのをどきどきしながら待ったタイプなのではないでしょうか。こういう書き手が数は少なくとも熱心な読者を得ることができるというのがこのメディアのおいしいところです。「けんちゃん」のホームページは http://www.cafeopal.com/ お店にも行ってあげて下さい。

私が毎日読みにゆくのは

(1)フジイの日記(おい、最近全然更新してないじゃない。生きてるかー)(勝手にリンクをはったりすると怒るから、URL はひみつ)
(2)石川君の日記(といってもレコード紹介。毎日一枚ずつ愛聴盤を紹介しているのである。それがえんえんと何年も続いている。いったい彼は何枚レコードをもっているのであろう)
(3)小田嶋隆の日記(これは本になっているものよりも圧倒的に毒が強い。というか、ぜったい活字にはならないだろうなあ)
(4)柳下毅一郎の日記(この人と町山智浩の映画批評ユニット、ファビュラス・バーカー・ボーイズのバカ映画批評はもう最高。)

であります。(1)と(2)は旧知のひとだが、(3)と(4)は私が敬愛するライターさまである。これに「けんちゃん」の日記が加わって毎日5カ所めぐりになった。これ以上ふえると一仕事だなあ。