12 August

1999-08-12 jeudi

うう、暑い。う、それほど暑くもないか。くせになってしまったのね。
お稽古をしたあと、ごろごろテレビを見ていたら、「ここが変だよ日本人」という外国人参加のディスカッション番組で戦争をテーマにして、いろんな国の人たちがみんな怖い顔をして、自分の意見に反対するよその国のひとたちを怒鳴り散らしていた。
自分と意見の違うひととどうやって意見をすり合わせるかということがコミュニケーションのだいじな基本である。その場合に大事なのは話の内容ではなく、発声法やみぶりにおいて、「フレンドリー」であることをはっきり示すことである。
どなりつけたり、凄んだりして、相手を黙らせることは、その語の本来の意味におけるコミュニケーションではないと私は思う。
戦争について語るのは、「戦争とは何か」という事実認知的な営みだけでなく、「どうやって戦争を阻止するか」という遂行的なしごとをも含んでいると思う。けれども多くの人は「どうやって戦争が起きたか」「誰が戦争を始めたのか」という遡行的な議論に終始してしまう。それも強い責任感と善意をもって。そして、そういうときの責任感や善意は、他人に対して攻撃的になることを妨げない。
過去を振り返っている限りは、ひとはいくらでも大声を出すことができる。けれども未来について語りあいたいのなら、できるだけ声は小さいほうがいいと私は思う。

うう、暑い。
朝起きてみると室温が30度。外気温より二度も高い。
うう、暑い。脳味噌がとろとろ溶けそうだ。
そんな中に電話がかかってきて、マンションを買えという。いまどき電話の話につられて、新宿に節税用マンションを買う人なんているのだろうか。
そういう電話はだいたい「内田さんですか?」というふうに切り出してくるので分かる。
私の知り合いなら声で分かるし、学生や同僚や編集者は必ず「内田先生ですか」と訊いてくる。
さて、知らない人の声で「内田さん?」と来た場合はまず90%営業電話である。そういうときはすばやく声を変える。ちょっと早口で元気のよい声にするのである。
「はい! そうです」
「・・・お父さんいる?」
「いま、出かけてます!」
「・・・お母さんは?」
「(悲しげに)・・・母は・・・おりません」
「あ、そ。」(ガチャリ)
声が高いので得をするのはこういう場合だけである。
とはいえ、世の中は広い。先日すごい電話があった。
(チリリン)「はい、内田です」
「主人ですか?」(野太い男の声)
「は?」
「主人ですか?」
「は?」
「主人ですか?」
「は?」
(ここでようやく、電話の相手が「ご主人ですか?」という質問をしようとしているらしいということに気がつく。しかし、相手が「魔法のランプの巨人」であって、私が「はい」と返事をしたとたんに「どろろん」と姿を現して「あなたが今日から私の主人です。なんなりとお言いつけを」というようなことが起こる可能性も絶無とはいえない。それはちょっと恐ろしいので)
「主人ですか?」
「ちがいます」
「あ、そ」(ガチャリ)
最近のこどもたちは電話のかけかたをしらないと言うけれど、こういうすごいおじさんもいるのである。