「説明家」の衣鉢

2026-11-06 vendredi

 斎藤幸平さんと彼の近著『寝ながらヘーゲル』についてオンラインでおしゃべりをした。タイトルは私の『寝ながら学べる構造主義』のタイトルから頂きましたと聞いてうれしくなった。私の本は2002年初版だが、タイトルを思いついたのはそれよりさらに30年近く前の話である。
 大学時代の友人に竹信悦夫という異才がいた(のちに朝日新聞の記者になったが夭逝してしまった)。四年生になった時にアラブ近現代史の研究者として大学院に進もうとしていた。卒論は抜群の点数だったし、英語もよくできたのだが、第二外国語のフランス語だけは教養でやったきりですっかり忘れていた。そこで院試の前に私の家に泊まり込み、三日三晩でフランス語文法をゼロから復習することになった。中級文法の最後まで何とかたどりついたところで寝不足でばたりと倒れた竹信君が「ああ、『寝ながら学べるフランス語文法』とか『苦しみなしのフランス語文法』という本があったらなあ・・・」とつぶやいたのが耳の奥に残った。いつかそういう本を書くよと彼に約束した。
 難しい話をていねいに噛み砕いて、初心者にもわかるように説明するのも学者のたいせつな仕事である。でも、それは「研究」とは言われない。「説明」である。だから、そういう仕事をする人は「研究者」ではなく「説明家」と呼ぶのがふさわしいと私は思う。その定義に従うなら、私は大学の教師ではあったが、「研究者」ではなく、「説明家」だったということになる。
「説明道」には橋本治という偉大な先駆者がいる。私は物書き仕事を始めてからずっと橋本さんの背中を追ってきたように思う。
 学者たちは研究業績の積み上げに忙しくて、街場にも通じるコロキアルな言葉で自分の専門的知見を噛み砕いて説明することを通じて日本人全体の知的な底上げを図るというような面倒なことはしたくなかったのだろう。「啓蒙」という言葉に私は学者の無意識な驕りを感じる。 
 斎藤さんは久しぶりに登場してきた「説明家」である。橋本さんの衣鉢をぜひ斎藤さんには継いで欲しい。そう懇請した。
(AERA10月28日)