小学校の先生たちが来訪してくれたので現場の話をいろいろ聴いた。AIを初等教育にどう採り入れるかが最も切迫したトピックだそうである。「子どもにもAIを使わせろ」とうるさく言われているのだと言う。困った時代になったものである。「どう思いますか」と訊かれたので、小学生にAIなんか使わせたらバカになるとお答えした。
AIはどんな面倒な問いにも「それらしい答」を瞬時のうちに戻してくれる。でも、問いに答えるということだけが知性の行使の様態ではない。私自身について言えば、最も高揚するのは「これって、あれじゃん」という共通点を発見した瞬間である。
この時、私は因習的な意味での推論をしていない。可能性のあるすべての組み合わせを絨毯爆撃的に検証しているわけではなく、いきなり共通点を発見するのである。これが創造的ということだろうと思う。
知的発見というのは、以前から知られていた事実と、それとは無関係であると考えられていた他の事実の間に「思ってもみなかった共通点」を示すものであるとアントニオ・R・ダマシオが書いていた。たしかに、互いにまるで無縁と思われていた「あれ」と「これ」の間に共通点を発見した時に、私たちは他のどんな経験によっても代えがたい知的高揚感を覚える。
先日私は戦争と哲学について往復書簡をやりとりしている韓国の哲学者宛てに手紙を書きながら、『ゴッドファーザー』とアメリカの政治文化の間に意外な共通点を見出して、鼓動が高まるのを感じた。私が見つけたのは「対立を調停すること」を評価しない文化である。話すと長くなるので、この論件はいずれ別稿で論じるけれど、私が言いたいのは、知的な創造は「推論抜きで」ものごとのつながりを見出す力によってもたらされるということである。この能力の涵養にAIが貢献する可能性はさしあたりはゼロである。
(信濃毎日新聞8月28日)
(2026-09-03 09:29)