街場の教育論 文庫版まえがき

2026-06-11 jeudi

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 『街場の教育論』が文庫化されました。リーズナブルな値段でお手にとってもらえることになって著者としてはたいへんうれしいです。文庫化を許可してくださったミシマ社の三島邦弘社長と、文庫化のために奔走してくださってKADOKAWAの小川和久さんにお礼を申し上げます。
 『街場の教育論』は2007年度の神戸女学院大学の大学院ゼミの僕の発言部分の文字起こしに加筆したものです。この頃、ミシマ社の企画で、大学院のゼミのやりとりを録音したものを素材にして何冊か本を作りました。『街場のアメリカ論』も『街場の中国論』も『街場の文体論』も、ミシマ社の「街場シリーズ」はどれもそういう作り方です。
 「ゼミで話したことをそのまま本にする」というやり方だと、書斎にこもってこりこり書いた本と、だいぶ手触りに違いが出てきます。なにしろ目の前に相手がいますから、どうしてもその反応が気になります。ですから、話がややこしくなって聴講生たちが退屈そうな顔をし始めると、あわてて話題を変える。聴講生たちが前のめりに聴いてくれると「お、受けてるな」と、つい図に乗って奇想を次々と語るようになる。そういう双方向性が「ライブ本」には感じられます。
 ミュージシャンは「スタジオにこもって音作りに励む」ということと「ライブ会場でがんがん盛り上げる」ということを両方やりますよね。物書き仕事もたぶんそれと同じなんだと思います。外界との接触を遮断して、自分の内面に深く垂鉛を下ろしてゆくという作業と、発する一言一言にリアルな反応が来る場所に身をさらして、やりとりを楽しむという作業の両方がある。僕はどちらも好きなんです。だから、僕の書いた本にはこのような「ライブ本」がたいへん多いことがわかると思います。現場でのやりとりが僕は大好きなんです。この本からも、そのライブ感を味わって頂けるとうれしいです。
 
 本書は2008年に刊行されました。その後絶版になることなく、こうしてまた18年後に文庫化されたことを書き手としてはとてもうれしく思います。そういえば、2005年刊行の教育論『下流志向』(講談社)も最近文庫化されました。20年にわたって同じような内容の教育論がずっと読み継がれてきたわけです。書き手としてはいささか誇らしく思います。でも、同時に「おい、ちょっと待ってくれよ」という気もします。だって、20年前の教育論が今もなおリーダブルであるということは、それらの本で扱われていた問題が何一つ解決されていないからではないか...と思えてくるからです。
 本書で僕は現代の教育の本質的論点をいくつか取り上げて論じています。今回ゲラを読み返してみてわかりましたが、ここで僕が取り上げた問題のうち「ああ、あれはもうとっくに解決したよ。内田さん、ずいぶん警鐘を乱打していたけれど、そんなに騒ぎ立てる話じゃなかったみたいだよ(笑)」というようなものは一つもありませんでした。すべての問題は相変わらず問題のままでした。何一つ解決されていない。解決されていないどころか、むしろ深刻化している。
 本書では、後に大きな問題となったコロナ禍の影響、不登校、ICT教育、AI導入の影響、大学の統廃合などについては言及されていません。ですから、今大学院のゼミで「教育論」を取り上げたら、本書の1.5倍くらいのボリュームになったでしょう。
 
 ご存じの方もいると思いますが、僕は2026年の4月から学校法人神戸女学院の理事長に選任されました。神戸女学院大学には教員として21年間奉職しました。退職後も大学合気道部の指導は続けていましたし、時々授業に呼ばれたり、評議員や理事も務めてきましたから、36年の長きにわたって途切れることなくご縁のあった学校です。その理事長として学校経営の責任を負う立場になりました。病後の身を養っている後期高齢者には過酷な仕事ですが、選ばれた以上はこれを「天命」と思って、余生を捧げる覚悟でおります。
 これまでは少し距離をおいて教育論を「書く」立場でしたが、これから再びそれを「実践する」立場になります。果たしてここに書かれたことが教育現場においてほんとうに有効なのか、教育現場の分析として適切なのか、それが問われる立場になった。「ここがロドスだ。ここで跳べ」です。読者のみなさんには、これからの僕の教育実践を注視して頂きたいと思います。(6月10日)