いろいろな人から「日本はこれからどうなるのでしょう」と訊かれる。私に未来予知の能力はないが、「最悪のシナリオ」を想像することは得意である。日本の言論人にはあまりいないが、欧米のアナリストには「最悪のシナリオ」を想像して、詳細を描く人が多い。おそらくかの地では「最悪のシナリオ」を想定して、被害を最少化する道筋を考える実務的な知性が高く評価されるのであろう。
今から200年前に建国半世紀後の米国を訪れて、そのデモクラシーの功罪を詳細に吟味したアレクシス・ド・トクヴィルは米国の統治機構の最大の美点は統治能力を欠いた人物を指導者に選んでも統治機構が機能するようになっていることだと指摘した。トクヴィルは七代大統領アンドリュー・ジャクソンと面会した後に、彼について「その性格は粗暴で、能力は中程度である。彼の全経歴に、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない」と酷評している。(岩永健吉郎訳、中央公論社)
でも、トクヴィルは米国の統治機構には復元力があるとも書いている。それは「デモクラシーにおいて、公務員が他より権力を悪用するとしても、権力をもつ期間は一般に長くはない」からである。「デモクラシーにおいて、ある公務員の事務の遂行が不良であるとしても、それだけのことで、その短い在職期間にしか影響しない。腐敗や無能も、共通の利害となって恒久化されることはない。」
なんだか、今の米国のことを書かれているようだが、建国の父たちは国民が誤った選択をして「最悪の事態」が出来する可能性をかなり高めに予測して、このような統治機構を設計したのである。炯眼の人たちである。
「最悪の事態」に遭遇しても復元できるように制度設計をするのは米国の伝統なのである。「リスクヘッジ」と言ってもいいし、「フェイルセーフ」と言ってもいい。「フェイルセーフ」というのは工学概念の一つで、機械が故障する時に被害が最少になるようにしておく配慮を指す。だから、遮断機が故障する時には必ず下に降りて止まる。
でも、日本には「リスクヘッジ」という語も「フェイルセーフ」という語も定着しなかった。「定着しなかった」と私が言い切れるのは、日本文化に土着した場合、外来の概念はカタカナ四字に略語化されるからである。パソコンもデジカメもセクハラもポリコレも、日本人が「まあ、採り入れるしかないか」と思ったものは概念でも制度でもカタカナ四字になる。「日本社会には合わない」という暗黙の集団的合意があった場合は略語化されない。「リスヘジ」とか「フェルセ」という語を私は一度も聴いたことがないから、これらは採り入れを拒絶された概念だとみなしてよいだろう。
私は「最悪の事態」を想定して、それがもたらす被害を最少化する道筋について考える(日本では)例外的な人間である。「最悪の事態」を想像するのはその到来を阻止するためなのだが、なぜか現実は私の想像通りに推移しているような気がする。
米国はこれから没落の坂道を転げ落ちてゆくだろう。日本が米国と「共倒れ」になるリスクは高まるばかりだろう。現実が私のこの想像を裏切ることを心から願っている。(中日新聞、3月8日)
(2026-03-13 11:23)