先生たちからの質問その1

2025-11-13 jeudi

『蛍雪時代』編集部が現場の先生たちからの質問に内田が答えるという企画をオファーされた。時間をかけてひとつずつ答えることにした。

質問その1
 日本の入学試験は、紙に鉛筆で時間内に解答する方式です。端末の使用は認められていません。中学・高校の定期テスト、予備校などの模擬試験でも同様です。
 国公立大学の一般入試では、国語・英語・地理歴史などでは「文章」で解答することが一般的です。生徒にとって、紙に鉛筆で解答する言語表現力が重要であり、私としても、地理歴史の分野の担当ですが、その育成に力を入れているつもりです。
 現状では一人一台端末のかけ声のもとに、高校教育の現場で端末の使用が推奨されています。端末の使用拡大は、紙に鉛筆で解答する言語表現力の低下につながるのではないかと危惧しています。
 先生は、言語表現力の育成という観点で、端末で文章を書くことと、紙に鉛筆で書くことに差異があるとお考えでしょうか。
 また、一見すると矛盾にしか見えない、端末の使用を認めない日本の入学試験と教育現場における端末の使用拡大という現状を、日本の教育の将来を考えた際に、先生はどのようにお考えでしょうか。

 こんにちは。内田樹です。
 ご質問ありがとうございます。僕の意見を申し上げます。
 鉛筆で字を書くことが苦手になっているということを前に高校の国語の先生から伺ったことがあります。「板書をノートするように」という指示に対して、生徒たちがその作業をあたかも「苦行」のように感じて、いやいや筆記している。面倒なので携帯のカメラで板書を撮るというのは大学ではもう普通の光景ですが、さすがに中高では許されないでしょう。
 ます目や罫線に合わせて文字を書くというのは、かなり高度の身体技法ですが、これができない、あるいは苦痛に感じる生徒が増えているようです。
 その国語の先生から聞いてびっくりしたのは、国語で芥川龍之介の『鼻』を読んだ後の小テストで「『鼻』の作者名」を問う問題を出したところ「ゴーゴリ」と書いてきた生徒がいたそうです。呼び出して理由を訊いたら、「芥川龍之介という画数の多い文字を鉛筆で書くのが億劫だったから」と答えたそうです。すごいですね。
 「文字を書く」というのは非常に重要な身体運用です。正中線の感覚、指の繊細な動き、文字列のグラフィックな印象についての美意識などがないときれいな文字は書けません。その能力開発がなされていないというのはやはり問題だと思います。
 書字はワープロで代行できますので、それについては大学に行っても、社会に出ても特段の不便は感じないかも知れませんが、文字を書くことで養われるべき身体能力が欠損したことの結果は思いがけないかたちで発症するリスクがあると僕は思っています。
 昔の武士は書と禅と剣の三つをあわせて修行するのが決まりでした。それが武士として生きる上で必須の心身の能力開発に有用であることが、経験的に知られていたからです。今の学校教育では禅と剣は「必修」にはできませんが、書だけは学ぶことができた。それがもうなくなった(完全になくなったわけではないようですが、「書道」が必修から外されるのは時間の問題でしょう)。それがどういう帰結をもたらすのか、予測はできませんが、あるいは人間の潜在能力開発にかかわるシリアスな問題を惹き起こすかも知りません。わかりません。
 鉛筆で書くのとワープロで書くのでは、文字を出力するという点では、圧倒的に後者が効率的です。無限の修正が可能ですし、一度書いた文字列は何度でもコピー&ペーストができますし。それに「読みとだいたいのかたちは知っているけれども、正確に再生できない文字」でもワープロなら出力できます。「魑魅魍魎」とか「顰蹙」とか「語彙」とかいう文字は僕も鉛筆で書けと言われたら困りますけれど、ワープロならすぐに出てくる。それはつまり、使用可能な語彙が爆発的に増えるということでもあります。ですから、ワープロの使用が言語表現能力の開発を妨げるということはないと思います。
 ただ入学試験での端末の使用はやはり不可能だと思います。検索できますし、AIに訊けば満点答案を出力してくれますからね。これから課題を出して「レポート」を書かせるというタイプの試験も不可能になると思います(みんなAIを使いますから)。その場に集めて、鉛筆で書かせる以外に不正を防ぐ手段がありません。ですから、生徒たちには「これからは鉛筆で、かなりの速度で、正確に文字を書く能力がないと、試験で高いスコアがとれない時代になった」とアナウンスしてあげる必要があると思います。
 結果的に生徒たちが書字の習慣を身に着けてくれたら、それはそれで「結果オーライ」ということになるんですけどね。