みなさん、こんにちは。内田樹です。
橋本治さんの『「わからない」という方法』の韓国語訳が出ることになりました。その解説という重要な仕事を仰せつかったことを、たいへん光栄に思います。
橋本さんの本は韓国語訳がまだほとんど存在しません。ですから、多くの韓国人読者は「橋本治って、誰?」という感じだと思います。でも橋本さんは日本の文学と思想の領域で、たいへん重要な仕事をされた方です。僕自身も橋本さんのデビュー作『桃尻娘』からの熱烈なファンです。
僕が小林秀雄賞という賞を『私家版・ユダヤ文化論』で受賞した時に、選考委員を代表して選考理由を語ってくれたのが橋本さんでした。30年来の「アイドル」であった橋本さんが僕の書き物について「ここがよかった」と論評してくれたんです。感動しました。橋本さんの挨拶が終わって、笑顔の橋本さんと握手してから、短いお礼のスピーチをしました。その時にこんなことを言ったのを覚えています。「橋本さんは久しく僕のアイドルであり、僕のヒーローでした。ですから、今、自分が書いてものについてのコメントを橋本さんがしてくださっているのを聴いて、アマチュアのロックバンドの子が送ったデモテープの曲について、ジョン・レノンがコード進行について『ここ、いいよ』と解説してくれるのを聴いているような気分でした。」
橋本さんが亡くなった後に、うちの書棚に橋本さんの本が何冊あるのか数えてみました。125冊ありました。それでも橋本さんの全著作の半分にも遠く及びません。それくらいに多作の作家でした。そして、ほんとうに悲しいのですけれども、そのうち半分以上がもう絶版です。
もちろん、「昭和三部作」とのちに呼ばれることになった小説群や、『窯変源氏物語』や『双調平家物語』のような古典現代語訳や、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』のようなすぐれた評論はまだ読めますし、本書『「わからない」という方法』のような新書で出版されたものはだいたいまだ入手可能です。でも、橋本さんが「本領を発揮」した、分類不能の書物たち(『アストロモモンガ』、『シネマほらセット』、『98歳になった私』、『蓮と刀』、『親子の世紀末人生相談』などなど)は少数の読者から熱狂的な支持を得ながら、もう手に入れることが難しくなっています。
橋本さんの本を初めて手に取る韓国の読者に橋本さんをどう紹介したらいいのか、Wikipediaに書いてあるようなことなら、ここで僕が繰り返す必要はありません。ですから、ごく個人的なことを書いて、そこから橋本治という人のリアルな相貌を想像して頂ければと思います。
橋本さんを一言で言うと、「親切な人」そして、「正直な人」でした。この二つが揃っている物書きというのはあまりいません。「正直な人」だということは、この本を読み始めたら、数頁読んだところでわかると思います。橋本さんは「ごまかす」ということを決してしない人でした。橋本さんは「知らないこと」は知らないとはっきり言います。でも、そこから出発して、「知らないことだから触れない(自分の無知がばれるから)」ではなく、「知らないことなので知りたい(自分を少しでも賢くしたいから)」という建設的な方向に向かう人でした。
僕は橋本さんと何度か対談して本を作ったこともあります(『橋本治と内田樹』、2008年)。その時に伺った話で一番びっくりしたのは、橋本さんが『窯変源氏物語』を書き始めた時に、紫式部の『源氏物語』を通読したことがなかったと聞いた時です。橋本さんは東京大学の国文科を卒業しているのですけれども、在学中に国文科の学生院生たちが『源氏物語』のトリヴィアな話をしているのを聴いて「いやな感じ」と思って、食わず嫌いのまま手に取らなかったのだそうです。ですから『源氏物語』の現代語訳し始めた時点では、物語の登場人物たちがこの先どんな運命をたどることになるのを知らなかった。つまり、まことに例外的なことですけれども、橋本さんの訳業を駆動していたのは「この人たちはこの先どうなるのだろう」という強い好奇心だったんです。未来はまだ霧の中にあって、自分も周りの人もどうなるか「わからない」時に、人間がどんなふうに思考し、感じるか、それを橋本さんは登場人物たちと共有しようとしたのです。すごいと思いませんか。
同じようなことを橋本さんのデビュー作『桃尻娘』についても伺いました。橋本さんから聴いたのは、語り手である榊原玲奈ちゃんに言葉を託すために「自分の記憶を抜いた」っていうことでした。
この小説を書いていた当時橋本さんは28歳、物語の語り手である玲奈ちゃんは15歳の高校1年という設定でした。年が13歳違う。だから、玲奈ちゃんになり切るために、橋本さんはその13年分の記憶を全部「抜いた」んだそうです。橋本さんがリアルタイムで経験したことのうち、玲奈ちゃんが生まれる前の13年を玲奈ちゃんは生きていない。その時の出来事は他人の回想を通じて断片的にしか知らない。ですから、橋本さんは想像的に13歳年下の少女になって、その人の眼から世界がどう見えるか、見えるものを記述するために、自分自身の記憶を抜いた。「わかっていること」を「わからないこと」にして、そこを小説を書く時の足場にしたのです。
ふつう、ものごとについて解像度の高いイメージを提供しようとしたら、人は情報を「加算」します。情報がたくさんあった方がものごとの輪郭ははっきりして、その意味もわかりやすくなると考えるから。でも、橋本さんは違う考え方をしました。「減算」することで確実になることがある。
続編の『その後の仁義なき桃尻娘』には滝上圭介君という男の子が語り手になる『大学番外地 唐獅子南瓜』という短編が収録されています。これがすごいんです。滝上君はあまり頭がよくない。語彙が貧しいし、論理を前に進める力も弱い。だから、独白だけで構成された短編なんですけれども、滝上君はすぐに言葉に詰まってしまう。滝上君は誠実な人ですから、言葉に詰まっても、出来合いのストックフレーズに落とし込んで小器用にまとめるということはしない。何か言いかけて、何を言いたいのかわからなくなると、絶句して「......」になる。
この「......」が、すごいんです。どこまでも続く。一番長いところでは3頁「......」が続く。
何か言いたいのだけれど、うまく言葉が出てこない。喉元まで出かけているのだけれど、言葉にならない。そういうもどかしさは、僕らにとっては日常的な経験なわけですけれども、橋本さんはその経験をそのまま作品化してしまった。そんな作家は日本文学史上橋本治以外にいない。すごいことだと思いませんか。
「未来は霧の中」ですから次の瞬間に何が起きるのか僕たちにはわからない。過去は過ぎ去ってしまっていて、もう生き生きとしたリアリティーを失っている。つまり、未来と過去の「リアリティーのなさ」が僕たちにとっての現実の「リアリティー」をかたちづくっているのです。僕たちが、「自分は今・ここに・生きている」ということを実感できるのは、過去は過ぎ去ってもう何が起きたのかよく「わからなく」なっており、未来に何が起きるかはやっぱりよく「わからない」からなんです。現実の現実性を構成しているのは「わからない」ということなんです。
僕たちが今の自分にリアリティーを感じられるのは、過去の自分や未来の自分と今の自分が「違う」と確信できるからです。過去の自分が何を感じ、何を考え、どんなことをしたのか、今となっては「よくわからない」。未来の自分が何を感じ、何を考え、どんなことをするのは、今の時点では「わからない」。まさに「わかりにくさ」に包囲されていることが「今・ここに・私は・存在している」という確信を基礎づけている。自己同一性の欠如こそが私の存在確信を支えている。
橋本さんはその背理を直感的に理解していました。だから、「わからない」ということこそがもっともリアルで、もっとも堅牢な足場だと思ったのです。「わからない」という足場から見える世界の風景、そこから語ることのできる言葉、それがもっとも適切に現実をとらえると思っていたのです。そういう信念に基づいて橋本治さんは書いた。そういう点で、橋本さんはまことにまことにユニークな哲学者だったと思います。
どうです、こういうふうに紹介されたら、橋本さんの本がなんだか読みたくなってきたでしょう?
ぜひできるだけ多く橋本さんの著作が韓国語に訳されて、多くの韓国人読者を得られることを切望しております。
2925年10月
内田樹
(2025-10-27 09:47)