総選挙が終わった。与党が大きく議席を減らして、長く続いた「与党一強」が終わり、「ハング・パーラメント(宙吊り議会)」状態を迎えた。政局は流動化し、先の予測が難しくなる。
だが、私はこういう状況は民主政の成熟にとって端的に「よいこと」だと思っている。これからしばらく政局は不安定なままだろう。でも、多数派形成のための離合集散や政策上のすり合わせがあったくらいのことで日本の統治機構が破綻することはない。私は今回の選挙結果を日本の民主政の成熟に導くために好機と考えている。
民主政にも「未熟なかたち」と「成熟したかたち」がある。未熟な民主政とは「共感と同質性に基づいた民主政」である。政治的アイデンティティーを共有する集団同士が対立して、多数派形成のために戦う。だから、選挙が終わった後に、勝った陣営は万歳を叫び、感涙を浮かべ、負けた陣営は地団太を踏む。だが、これは「民主政後進国」の風景である。
成熟した民主政においては、選挙が終わった後に、どの陣営も「同じ程度に不満な顔」をしているはずである。
民主政とは、集団構成員の全員が同程度に不満な「おとしどころ」を探り当てる計量的な知性の働きを求める制度だから、そうなるはずなのである。
成熟した民主政の国では、人々は自分が属している「集団」の利益を最大化するためにだけでなく、自分が属している「国」の利益を最大化するためには何をすべきかを考える。そして、国益がいくつもの国内集団の相反する利益の総和である以上、国益が増大した結果、「大儲けする集団」と「大損する集団」に分裂するというようなことはふつう起きないし、起きてはならない。だから、「全国民が同程度に不満顔」が民主政の理想なのである。民主政はそれを目標にすべきなのである。奇妙な話に聴こえるかもしれないけれど、そうなのである。
もちろん、そこまで成熟している民主政の国はなかなか存在しない。例えば、今の米国はシリアスな国民的分断のうちにあるけれども、それは有権者たちが「アメリカ」という名を持つ幻想的な共同体の利益よりも、今自分たちが帰属しているリアルな国内集団の利益を優先するようになったからである。現に、大統領選の報道を読むと、いずれの陣営でも、有権者たちは「自己利益を最大化してくれる候補者」に投票すると明言している。「米国の国益」には候補者たちさえ修辞的かつ予言的に(私が勝てば結果的に米国は栄えるであろう)しか言及されない。米市民たちがこの現状を恥じることがなければ、米国の民主政に明るい未来はないだろうと私は思う。
近代市民社会は、私権の一部、私財の一部を手離し、それを公共に負託する方が、成員たちが自己利益の最大化を求めて喉笛を掻き斬り合うよりは長期的には自己利益を安定的に確保できるという合理的判断の上に成立した。ロックもホッブズもそう説いている。
公共の利益と市民の自己利益は短期的には相反しても、長期的には一致する。だから、選挙結果にどの党派も、どの個人も等しく不満顔というのは「よいこと」なのである。「宙づり議会」は日本の民主政の成熟のための第一歩になる可能性がある。できるだけ物静かな口調で政党間の交渉と対話が続くことを私は願っている。(中日新聞10月31日)
(2024-11-11 18:48)