憲法記念日にはどこかの護憲集会に呼ばれる。神戸でも集まりがあり、「日米安保条約が廃棄されたら日本はどうなるか」という話をしてきた。
前にも書いたが、米国内には同盟国と締結している相互防衛条約は不要だと主張する人たちがいる。ロン・ポール議員は在外米軍基地の全面廃止を訴え続けた。在外米軍基地の維持が財政的な負担になっているということが理由の一つだが、日本のメディアが報道しないのは、米国には「自分の身は自分で守ること」を基本的信念とするリバタリアンが数千万規模で存在するということである。
リバタリアンは徴兵と納税を忌避する。自分の身は自分で守り、路頭に迷うまで零落しても公権力の保護を求めない。ドナルド・トランプは5回にわたって徴兵を忌避したが、トランプ支持者たちはそのふるまいを「臆病」とか「非国民」というような言葉では批判しない。自分がいつ、どこで、どういう理由で命を賭けるかは自己決定するというのがリバタリアンの生き方だからである。
そんなのは米国の話で、日本には関係ないと思う人もいるだろう。だが、リバタリアンから見ると日本はあらゆる「非リバタリアン的」であるということは意識した方がいい。日本は自国の防衛戦略を米国に丸投げし、自力では安全保障戦略を立案することも、実施することもできない国なのである。米国に言われるままに兵科を編成し、武器を購入し、基地を造営してきたのである。先日は「統合作戦司令部」を創設して、自衛隊と在日米軍の一体化がさらに強化されることになった。
韓国では戦時作戦統制権が朝鮮戦争のときに李承晩大統領からダグラス・マッカーサー国連軍司令官に委譲された。以後、朝鮮半島で軍事衝突が起きたときに、米軍と韓国軍のどちらが指揮権を持つかという問題は米韓の間でこじれたままである。作戦統制権を保持していれば、米軍は韓国軍を「二軍」として頤使することができる。韓国としては屈辱的なことだが、こうしておけば北との間で偶発的な軍事衝突があったときに、ただちに米国を紛争当事者として「巻き込む」ことができる。戦争が始まったときに「それは韓国の問題であって、米国は与り知らない」と言われては困る。だから、この問題はなかなか決着がつかないのである。
日本も「もしものとき」に米軍に逃げられないようにいろいろ策を練っている。日本政府は合理的にふるまっているつもりでいるのだが、米国のリバタリアンから見たら、それは自分の身を自分で守る気概のない弱者の狡猾さにしか見えないだろう。
トランプは予備選中にNATOからの脱盟に言及した。彼が大統領になったら、国連からの脱盟や、パリ協定からの脱退もありうる。リバタリアンとしては当然のことだ。そのとき「日米安保条約廃絶」という選択肢が俎上に載る可能性はゼロではない。
まず「自分の身は自分で守れ」と一喝しておいて、それでも日本政府がすがりついてきたら「そこまでいうならいてやるが、それなりの代価は払ってもらう」というトランプ得意の「ディール」をふっかけてくる。そして、日本から搾れるだけのものを搾り取る。
しかし、それだけ尽くしても、仮に日中で偶発的な衝突があった場合、米国内では「日本のために米国が中国と全面戦争をする必要はない」という平和反戦論が支配的になるだろう。
「日米同盟基軸」を日本の政治家やメディアは呪文のように唱え続けているけれど、その同盟が米国から空洞化されるリスクについて少しくらいは想像力を行使した方がいいという話をしてきた。(『週刊金曜日』4月8日)
(2024-07-01 08:49)