改憲はできないと思う理由

2024-02-09 vendredi

 政治学者の白井聡さんと対談した時に改憲の話になった。自民党は「やるやる」と言い続けるだけで、本気でやる気はないという結論に落ち着いた。
 国会での発議は可能だが、国民投票で過半数をとれるかどうか確信が持てないからである。 
 国民投票で否決されたら、自民党はほとんど党の存在理由を否定されたことになる。それではリスクが高すぎる。
 それより「やるやる」と言うだけ言って、改憲派の支持層を固めておいて、それを選挙で利用するだけにしていた方が政権維持には有利である。
 事実そうやって自民党は国政選挙で勝ち続けている。
 だが、それは所詮は小選挙区制のマジックのおかげである。有権者の50%が棄権し、野党が候補者の一本化ができない現状が続く限り、20%ほどのコアな支持層を確保しているだけで自民党は永遠に政権の座にあることができる。
 だが、国民投票ではそうはゆかない。選択肢が「賛成か反対か」の二者択一だからだ。「野党票が割れる」ということが起きない。
 それにさすがに棄権率が50%ということもないだろう。これまで国政選挙で棄権していた人たちも多くが国民投票には足を運ぶ。この「ずっと棄権してきたけれど、久しぶりに投票所に来た」という人たちに「改憲賛成」の投票をさせるためにはどうすればいいか。
 利益誘導するなら、「改憲すると、みなさんにとってこんな『いいこと』があります」と約束する必要がある。だが、自民党改憲草案を見る限り、改憲して変わるのは、「戦争ができる国」になること、基本的人権が制限されること、緊急事態条項で合法的に独裁制に移行できることなどなどであり、改憲によって市民的自由が拡大したり、生活が豊かになったり、学校が楽しくなったり・・・ということは全く期待できない。
 となると、改憲すると何か「いいこと」が起きるという誘導は使えない。使えるのは「日本がここまでひどい国になったのは憲法のせいだ。だから、今すぐに改憲しないとこれからもっと『悪いこと』が起きる」という「憲法が諸悪の根源」論だけである。
 改憲しても「いいこと」は何も起きない。でも、戦後ひさしく「不磨の大典」であり、国民がそれを尊重し擁護する義務を負っていた憲法に向かって「こいつが『諸悪の根源』だったんだ」と言って、悪罵を浴びせ、足蹴にし、唾を吐きかけることならできる。
「おい、みんな、それって、すごく気分がいいと思わないか?」
 自民党が有権者に提供できるのは、そのような嗜虐的快感だけである。果たして、それを聞いて「なるほど。じゃあ現行憲法をみんなで踏みにじる『お祭り』にオレも行こう」と言って、改憲賛成の票を投ずる国民がどれほどいるか、改憲派は今それを測りかねているのだと思う。