朴東燮先生から質問が届いた。

2023-12-27 mercredi

質問「あたりまえ」、「一般人の見方」、「通念」、こういったものを、つまりある種類の 「あたりまえ」を身につけることで、我々が住んでいる社会は多くの人にとって、「なめらかなもの」になっていくと思います。
 ところで、「あたりまえ」の 言葉は、なめらかな世界に合うように、世界を区切ったりまとめたりする。その言葉を使う限り、同じ区切り方、まとめ方しかできないし、その区切り方がどうなっているのかを描くことはできないと思います。
 それで、多くの学者はなめらかな言葉では問うことのできない「あたりまえ」とその「あたりまえ」がもたらす問題点などを描きだすためにごつごつ・ざらざらした学術的な言葉を使ってしまいます。しかし、そのごつごつ・ざらざらした学術的な言葉というのは多くの人には届かない弱点があると思います。
 しかし、内田樹先生は彼らとは違って、あきらかに「手触りのやさしい」言葉を、「なめらかな言葉」のなかに切り込ませることによって、なめらかな世界の姿が形をもったものとして見えるようにするやり方をとってこられたように思います。
その「手触りのやさしい」言葉の原動力はどこにあるのか気になります。

 ううむ、むずかしい問いですね。自分の文体がどうして「こんなもの」になってしまったのかにお答えするわけですからね。
 朴先生が「手触りのやさしい」と形容したことを、僕は「コロキアルな」というふうに言ってきたのではないかと思います。
 colloquial というのは「日常会話の、口語の、話し言葉の」という意味の形容詞です。僕はややこしい話をするときには、できるだけコロキアルな文体の上に載せるようにしてきました。ある時期からはかなり意識的にそうしてきました。
 
 学術的な概念を学術的な用語で語るのが、世界標準的には「ふつう」です。でも、そういう「アカデミックな文体」で語られている知見は、朴先生もご指摘の通り、なかなか学術的な「業界」の外に出ることができません。一人でも多くの人に知って欲しいことが、「業界外」には伝わらないというのは、よく考えると困ったことです。
 前の質問でもお答えしましたが、僕はある時期から自分の学術的な仕事を「伝道」というふうにとらえるようになりました。偉大な先賢の知をひろく後世の人々に伝える。そのためには、道行く人の袖をとらえて「ねえ、ちょっと話聴いてくれませんか」と懇請しなければなりません。
 学術論文は「読んで理解できる人」だけを読者に想定して書けばよい。だから、予備的な考察は省略できますし、どういう文脈の中でこの研究がなされたのかをくだくだ説明するということもしないで済む。
 でも、「伝道」のための書き物はむしろ「そっち」の方がたいせつなんです。なにしろ「たぶん一読してもすぐには理解できない人」たちが想定読者なわけですから。
 どうして私がこのような伝道活動をするに至ったのか、私がこうしてその知恵を伝えようとしている賢者はいかなる人物であり、どうしてこのような知恵を得るに至ったのか、そういう「周辺情報」の充実が何よりも重要です。
 ですから、いきなり「周知のようにレヴィナスはハイデガーの存在論的圏域からの離脱を企てたわけだが」というような書き出しをすることは許されません。そんな話、ぜんぜん「周知のように」じゃないんですから。「ハイデガーって誰よ」「『存在論的圏域』ってなんのことですの」という当然の疑問に逢着した読者たちは、それについての説明がなければ、僕が握った袖を振り払って、すたすたと歩み去ってしまう。それでは困るんです。僕は「伝道者」なんですから。ですから「昔々あるところに『ユダヤ人』という人たちがいて、たいへん独創的な種族の宗教を有しておりました」くらいから話を始めないといけない。
 
 でも、僕はそういう「予備的考察」のことを「めんどうくさいなあ」と思ったことがないんです。だって、この「予備的考察」というか「文脈の説明」という仕事こそ、ある意味で最も自分の「オリジナリティー」が発揮される機会だからです。
 そうなんです。最も知性がその独創性を発揮できるのは、「むずかしい理説を述べているとき」ではなくて、「ややこしい話をわかりやすく説明しているとき」なんです。
  個性は説明において発現する。
 これは僕が人生のある時期に会得した経験知です。直接には橋本治さんという作家・思想家の書いたものを読んでいる時に気づいたことです。
 橋本治さんの作品が韓国で翻訳されているかどうか、寡聞にして知りませんが、僕にとっては偉大な先達であり、大好きな作家でした(個人的にもとても仲良くしてもらいました)。
 僕は橋本さんから文体上・思想上の影響を強く受けています。日本人の物書きの中ではもしかしたら、橋本さんからの影響が最大かも知れません。
 そして、橋本さんが亡くなった後に、いろいろな媒体から「橋本治とは何者だったのか?」についての寄稿依頼がありました。改めて橋本さんの代表作を読み返して、「ああ、橋本さんて、『説明する人』だったんだ」ということに気がつきました。
 何よりすごいのは橋本さんは自分が熟知していることだけではなく、しばしば「自分がよく知らないこと」についてさえ説明をしたことです。そして、その説明はきわめてわかりやすく、本質を衝いたものでした。
 変ですよね! 「自分がよく知らないことについてうまく説明できる」って。
 でも、できるんです。
 それは橋本さんが「自分に向かって説明していた」からです。
 いろいろな人から橋本さんはいろいろな質問されました。恋愛相談から、資本主義の未来まで。そのときに、橋本さんが一番鋭く反応したのは「訊かれた瞬間に、答えがふっと脳裏に浮かんだけれど、どうしてそういう答えが自分の中に浮かんだのか、その理路がわからない」というタイプの問いでした。本人に訊いて確かめたわけじゃないけれど、たぶん、そうだと思います。
 どうして自分はこんな答えを思いついたのか。そのプロセスをたどる。それが橋本さんの「説明」でした。自分で自分に説明する。だから、絶対に「手抜き」をしない。自分がまだ得心してていないことを「わかったような顔をして」スルーするということはしない。当たり前ですよね。自分がまだ得心していないということは自分が一番よく知っているわけですから、「手抜き」のしようがない。相手が他人なら「わかったふりをして騙す」という手が使えますけれど、自分相手にはその手は使えません。
 だから、橋本さんの説明はすごく長かったです。そもそもの初めから始まるんですからしかたがないです。でも、たいへんていねいで、たいへん分かり易い説明でした。自分が納得するまで説明するんですから、長くて、ていねいで、そして驚くほど分かり易かった。
 僕はこの読書経験から、「書き手の独創性は説明において発揮される」ということを確信したのです。
 実際に、そうやって考えてみると、世界的な作家たちはみな「説明の天才」でした。三島由紀夫がそうでしたし、村上春樹もそうでした。谷崎潤一郎も。世界的な評価を得る作家は説明がうまい。
 一方、ローカルな作家は「日本国内では『周知のように』で通るけれど、一歩海外に出たら何の話をしているのか、さっぱりわからない話」を平気で書いてしまいます。日本語話者にしか通じない「ジャルゴン(隠語)」を平気で使う。それは端から「海外の読者」を想定しないで書いているからです。自分が書いているのは「内輪の話」であって、「外」には通じないかも知れないということに、別に不安を感じていない。「別に『外』になんか通じなくても構わない。自分の仲間内だけで話が通じれば、それでいい」と思っている人はローカルな物書きで終わる。仕方がないんです。自分で自分を「ローカルな書き手」に自己限定しているんですから。説明をさぼるからローカルになる。
 どうして、説明をさぼるのか、僕にはそれがよく理解できないんです。だって、説明ってとても楽しいから。
 よく使う例ですけれども、「生まれてはじめてサッカーを見た人」に向かって、サッカーがどういうゲームであり、どうして面白いかを説明するという課題を与えられたら「わくわくする」というのが「説明好き」の人なんだと思います。ふつうのサッカー評論家とか解説者とかフーリガンとかは、そんな説明してくれないでしょう。なにしろW杯とかの開催中にふだんはあまり興味がない人が、テレビでゲームを観て、あれこれプレイについて話していると「昨日今日になってサッカーを観始めた『にわか』がうるせえんだ。お前ら黙ってろ」と怖い顔をするような人たちですからね。
 僕ならたぶんこんな説明から始めます。
 ゲームのスペースは二つに分かれます。片方が「フェア(美しい)」エリア、片方が「ファウル(きたない)」エリア。ボールは「美しいエリア」でしか生きることができません。でも、生きている間は高い価値を持っています。人間たちは二組に分かれます。そして、相手の「ゴール」にこの価値あるボールを「贈与」しようとします。「贈与」される側はそれをおしとどめようとします。この人たちは「価値のあるものを贈与されると罰が当たる」という信仰を持っているからです。だから、仮に「贈与」を受けたら、必死になって「反対給付」をしようとする。その「贈与のやりとり」を一定時間続けて、相手により多く贈与したものの「勝ち」です。
 そうやって説明すると、実はすべてのボールゲームが遊戯のかたちを借りて、子どもたちに世界の成り立ちと贈与の本質を教えていることがわかります。説明の効用はここにあります。わかりやすく説明しようとすると、話は根源的になる
 だから、説明をするとき、書き手の独創性や個性は明らかになるということが言えるのだと思います。説明するときにこそ、説明する人の「深さ」への渇望があらわになる。僕はそんなふうに考えています。

 朴先生からのご質問は「手触りに優しい語り口」についてでした。それは「説明する語法」だというのが僕からの答えです。
「祖述」というのも説明の一つの形です。「子曰く」も「如是我聞」も「ソクラテスはこう言った」もすべて先賢の祖述です。でも、そこにおいてこそ独創性が際立つ。
 白川静先生(日本の漢字学者で、僕が深く尊敬している人です)は『孔子伝』という本の中にこう書いています。

「孔子はみずからの学を『述べて作らず』(『述而』)といったが、孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかも知れない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないという、逆説的な見方もありうる。(...)伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは個のはたらきによって人格化され、具体化され、『述べ』られる。述べられるものは、すでに創造なのである。しかし自らを創作者としなかった孔子は、すべてこれを周公に帰した。周公は孔子自身によって作られた、その理想態である。」

「祖述はすでに創造である」という白川先生の断定は僕のような「伝道者」、「祖述者」、「説明家」にとっては心強い励みになります。