ある媒体から白井聡さんとの対談『新しい戦前』(朝日新書)の自著紹介を頼まれた。校長・教頭を読者に想定した媒体だったので、こんなことを書いた。
この本の内容
気鋭の政治学者白井聡さんとの三冊目の対談本である。毎回、そのつどの時事的なトピックを論じているが、今回はウクライナ戦争、台湾有事、安倍政治の総括、人口減少、加速主義、LGBT、アイデンティティー・ポリティクス、学校教育などを論じた。
この本の中で最も言いたかったことは白井さんと私の共通の現状認識であるが、「日本はアメリカの属国であり、日本の統治システムのすべての歪みはその事実を日本国民が直視することを忌避していることから起きている」ということである。
もう10年以上そのことばかり二人とも書いているのだが、なかなかこの認識が「日本の常識」には登録されない。それだけ抑圧が強いということだろう。
しかし、日本の喫緊の国家的課題は誰が何と言おうと、「国家主権の回復」と「国土の回復」である。日本はいまだに「半・独立国」であり、外国軍隊が半永久的に国土の一部を占領し続けている。
日本国憲法の上位に日米安保条約があり、日本政府の上に在日米軍があり、日本の総理大臣の上にアメリカの大統領がいるというねじれた仕組み(アメリカにとってはごくナチュラルな「属国支配システム」だけれど)が80年近く続いている。
もちろん、長い時間をかけて作り込まれて、もはや日本人の国民性格に深く内面化した歪みだから一朝一夕に補正できるものではない。それでもその「病識」を持つところからしか治癒は始まらない。
教育関係者に伝えたいこと
教育関係者に特に伝えたいことは、1997年の中教審答申以降学校教育に入り込んで来た「自分探しの旅」というアイディアがアメリカ発の「アイデンティティー・ポリティクス」というイデオロギーの余波だということである。
東アジアの伝統的な教育方法は「修行」である。「先達について、無限消失点であるような目標めざして、連続的な自己刷新を遂げること」である。これは「ほんとうの自分を探す」とはまったく方向違いの営みである。
アイデンティティー・ポリティクスでは「ほんとうの自分を見出せば、人間はその潜在的資質を劇的に開花させることができる。だから、ほんとうの自分に出会えることができたら、人生の目標のほとんどは達成される」という考え方である。そういう人間理解にもたしかに一理はあるが、ひろく一般性を要求できるものではない。少なくとも私が修行しているような武道の人間観とはまったくなじまない。
教育関係者には、この「自分探し」にかかわる白井さんとの対話と「LGBTと多様性」についての議論をとくに読んで欲しいと思う。思春期における性自認の揺らぎは子どもにとってごく自然なことであって、自分が「性的になにものであるか」を早く確定するように子どもを急かすということは子どもたちの性的成熟にとっては無益でありむしろ有害である。性自認や性指向はたぶんに社会構築的なものであって、家庭環境やメディアの影響によって変わる。だから、子どもたちに「性的なゆらぎ」を認める寛容な社会を整備することが子どもの成熟には不可欠である。
教育者に読んで欲しい箇所
「『学力』とは『学ぶ力』のことです。『生きる力』と同じです。数値的に計測できるものではないし、他人と比べるものでもない。乾いたスポンジが水を吸うように、触れるすべてのものから知的滋養を吸収できる能力のことです。」(166頁)
(2023-12-19 06:25)