平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評

2023-06-29 jeudi

 平川君の本を書評したことはあまりないと思う。『俺に似た人』については書評を書いたような記憶があって、PCのハードディスクを探してみたが、なかった。ということは、これまで一度も平川君の書き物について僕は批評的な言葉を書いたことがないということである。
 そうだろうと思う。
 平川君の書き物を客観的に批評するというのは、まったく僕の任ではない。なにしろ、僕と平川君は「精神的な双生児」のようなものだからだ。

 本文にもあるように、平川君と僕は11歳のときに知り合って、爾来60年余を仲良く過ごしてきた「竹馬の友」である。それほどのべつ会っていたわけではないが(十代、二十代の頃は年に一度ということもあった)、ずいぶんお互いから影響を受けた。
 いや「影響を受けた」というふうにいうとまるですでに確立した人格同士のやりとりみたいだけれど、そうではない。まだ「人格」として確立する以前に友だちになってしまったので、人格を形成する過程で、人格が「ぐちゃぐちゃ」になってしまったのである。
 小さい子どもはともだちが転んでも「痛い」と言って泣き出すことがある。自他の区別がよくできないのである。精神分析の用語で「転嫁現象(transitivisme)」と呼ぶ。わが身に起きたことと、同年齢のともだちの身に起きたことが区別できない。だから、自分がぶっておいて「ぶたれた」と言い張ったり、友だちが転んでるのを見て「痛い」と泣き出したりする。
 ふつうはこんな現象は三歳未満の幼児にしか起きないのだけれど、平川君と僕の間では例外的にそれが思春期以後に起きた。
 僕たちは小学校卒業までたいへん濃密な1年半を過ごしたのだけれど、そのあと別々の中学校に進学した。それまで毎日、朝から夕方までつるんでいた相方が不意にいなくなったのであるから、その欠落感はずいぶんシリアスなものだったと思う。その精神的危機を乗り越えるために、たぶん僕たちは二人とも「友だちは僕の中にいて、いつも一緒」という妄想を育んだ。そして、たまに会ったときに、相手の変貌ぶりを見て驚きながらも(十代のときの僕たちは二人とも信じられないほど急速度で変貌していた)、自分の中にある想像的な友だちのすがたかたちを現実に合わせて補正することで「いつも一緒」幻想をかろうじて維持した。たぶんそういうことだったと思う。
 思春期にまで延長されたこの「いつも一緒」幻想のせいで、その後、相手が考えていることと、自分が考えていることの区別がうまくつかなくなった。もちろん「うまく」つかなくなっただけで、「違う」ということはわかる。ただ、二人の考えの近いところ、境界線上のアイディアについては、それが最初にどちらが思いついたのかがよくわからない。平川君が言い出したことに僕が「そうそう、実はオレも前からそう思っていたんだよ」と頷いたことなのか、僕が言い出したことに平川君が(以下同文)なのかが曖昧なのである。しかたがないので、そういうアイディアは全部「パブリックドメイン」というか「コモン」というか、お互いに出入り自由なところに置いてあって、二人とも勝手に使ってよいことになっている。だから、「オレのアイディアを盗用するな」というようなせこいことは僕たちの間では「ない」のである。
 ほんとうにそうなのである。だから、この本の中での平川君の主張のすべてに僕は同意する。いや「同意する」というのではない。「実はオレも前からそう思っていた」のである。
 それでも、頼まれた以上は書評らしき文字を並べてみせないといけないので、以下にいささか贅言を弄する。

 読み始めてみたらいつもとちょっと調子が違う。「あとがき」を読んで理由がわかった。
 この人生相談は中山求仁子さんというライターの方を相手に、平川君が人生相談の手紙に回答し、それを中山さんが原稿に仕上げて、平川君が手を入れるという形式で行われたそうである。
 だから、平川君は相談に回答する前に、自分がどうしてこういう回答をするかについて、まず目の前にいる中山さんを説得しなければならない。この人を頷かせることができなければ、人生相談してきた人を頷かせることはできない、平川君はそう思ったのである(たぶん)。
 そういうわけだから、最初の頃は話がわりと「くどい」。それが後ろにゆくほど、話の走りがよくなる。疾走感が出てきて、読んでいてちょっとどきどきする。きっと聴き手の中山さんに平川君の「思考の癖」がだんだんわかってきて、「はいはい、そうですね」と頷くのが早くなってきたからであろう。
 出だしはいささか重い。平川君の語りはいささか抽象的で、堅苦しい説教口調である。当然、こんな話を聴いても中山さんは簡単には頷いてくれまい。平川君の困っている顔が目に浮かぶ。そこで平川君は方針を改めて、具体的な事例を出したり、他人の本から引用するという手立てを使うようにした(引用の一部は加筆の時に「これも入れておこう」と後知恵で思いついたのだと思うけれど、引用はどれもぴたりとはまっている)。
 そのやり方が奏功して、人生相談の諸問題はそれぞれに奥行きと深みを増した。そして、「だから、あなたの問題に単一の正解はないのです」という平川君の回答にいい具合に着地した。

 言い遅れたけれど、平川君のこの人生相談には「回答」がない。答えを出さないで、問いを深めるだけである。
「問いを深める」というのは、相談してきた人が、そもそもどういう歴史的文脈の中で、どういう個人的事情のせいで、「こんな問題」に直面することになったのか、そのことを相談者自身に考えさせるということである。これは姿勢としてまことに正しい。平川君はその趣旨をこう書いている。

「人生は、問題解決のためにあるわけではない。ですから私は、質問者ご自身においても、安易に答えを出すことをせずに、問いを抱えながら生きてゆく術を学んでほしいと思うのです。」(4頁)

「解決できない問題の前で、私たちはどうすればいいのか。問題の立て方を変更する必要があります。『どうしたら解決できるか』ではなく、『解決できない問題を抱え込んだまま生きていくためには、人はどうすればよいか』というふうに。」(36頁)

 解決できない問題を抱え込んでいても、人は生きていける。生きていけるどころか、その問題を足場にして人間的成熟を遂げる。これはまったくその通りである。人は葛藤を通じて成熟する。葛藤を通じてしか成熟しない。

「解決できない問題に遭遇したら、もう泣くしかないということになります。泣いたり、立ち止まったり、ためらったり...。それでいいんだと思います。
 これは、実は時間稼ぎなんです。泣いている間に、なぜ泣いているかわからなくなる。泣いている間に、心の中で肥大化していた問題が、だんだんと実寸大に戻る。実寸大に戻ったときはには、たいした問題じゃなかったとわかる。」
(36頁)

 解決できない問題に遭遇したら、しばらく「しょんぼりする」というのが有効だと以前精神科医の春日武彦先生からもうかがった。「困った、困った」とぼやいているうちに、思いがけないことが起きて問題が「消えて」しまうということがよくある。精神科の患者の場合だと、患者の「トラウマタイザー」であった家族の誰かが死ぬとか。

 さて、この本のかんどころは「贈与」と「責任」について論じたところである。ここでは平川君も声に熱がこもっている。

「この世の中に、実は等価交換は思ったほど多くありません。多くのことは、等価交換ではなく、贈与交換によって成り立っています。」(136頁)

 贈与について、マルセル・モースやクロード・レヴィ=ストロースの贈与論が祖述される。価値あるものを贈与された者はそれを退蔵してはならない。それを他者に贈与しないと「悪いこと」が起きる。これを「反対給付義務」と言う。贈与と反対給付の仕組みを持たない社会集団は存在しない。
 前近代ではこれは「お天道さまが見ている」という信仰のかたちをとった。平川君は落語『文七元結』を例に贈与の理法を説く。

「自分は金がないのに、困っている人がいれば、『助けたい』という思いが募って、なけなしの自分の金を渡してしまう。(...)この落語では、表層にある、不合理な選択と合理的な選択のどちらを人は選ぶべきかということの背後に、もうひとつ別の次元があることが示唆されています。
 それは人を助けたということをどこかで誰かが見ていて、それに対して自分では意図しないところから返礼が来るというような信仰の次元です。昔の日本人は『お天道様が見ている』ということをよく言いましたが、これは最終的な審判は天がしてくれるという信仰ですよね。」
(148-9頁)

 現代日本社会も決して例外ではない。例えば、挨拶は一種の「贈り物」であるから「おはようございます」と挨拶されて、それに返礼しないと「何か悪いこと」が起きる。お中元・お歳暮をもらってお礼状を出さないと「何か悪いこと」が起きる。近代でも贈与の呪術性についての信仰は細々とだけれども残存している。

 いささか説明を加えるが、贈与経済の起点にあるのは、「私は贈与された」という被贈与感覚である。それを感じた人が反対給付義務にせかされて、誰かに何かを贈る。そこからエンドレスの贈与経済が始まる。
 沈黙交易の場合だと、自分たちのテリトリーと異族のテリトリーの境界線近くに「何か」が落ちているときに、それを「贈り物」だと直感した人が反対給付として、何か価値あるものをそこに置くことになる。次に同じ場所にゆくと前に置いたものがなくなっていて、代わりに何か別のものが置いてある。これが沈黙交易である。
 最初に「あ、こんなところに私宛ての贈り物がある」と思った人が見たのは、実は風に吹き飛ばされてきたものかもしれないし、動物が咥えてきたものかもしれないし、誰かが捨てていったものかもしれない。でも、「これは私宛ての贈り物だ」と感じた人がいると、その人を起点に贈与経済のサイクルが開始される。
 だから、経済活動においては、何かを見て「あ、これは私宛ての贈り物だ」と思い込んだ人が一番えらいのである。「世界は自分に対する恩寵で満ちている」というタイプの多幸症的な世界観を持つ人が贈与経済の創始者なのである。損得勘定とか費用対効果というような寝言を言っている人間は経済の本質と無縁なのである。

 平川君は責任についてもとても大事なことを言っている。

「人生においては、ある事物や出来事に対して責任を負う範囲が大きくなる瞬間があります。何度も言っていることですが、自分に責任のないものに責任を取るという姿勢こそがたいせつで、たとえば、赤の他人がしたことに対してまでも『それは自分の責任である』『自分がその責任を負っている』と感じられるようになることが、成熟に結びついていくように私は感じています。」(222頁)

「隣の弱者に対して、そこには幾分か自分の責任があるのだと自覚し、自分が他者の境遇に対してまでその責任を負おうとする。このような形で、人は成熟の階段を上りはじめると言ってよいでしょう。自分が獲得したものの重さではなく、負債として感じているものの重さを感じ取る感性こそが、人を成熟させる。」(223頁)

 これはまったく平川君の言う通りである。ここで平川君はほとんどエマニュエル・レヴィナスと変わらないことを語っている。レヴィナスはこう書いていた。

「私の有責性の範囲はどこまでなのでしょう? ある程度まで、私は他者における悪については自分が有責であると思っています。他者を責め苦しめるものについても、他者が苦しめるものについても、ひとしく有責であると思っています。私は人間的には他の人間から放免されることはないのです。」(レヴィナス/ポワリエ、『暴力と聖性』、内田樹訳、国文社、1991年、135頁)

 平川君は「私たちは、生まれながらにして負債を負っている。それをなんとか返していこうとするわけです」(224頁)というきわめて宗教的な命題を語る。

「だから、他者が貧乏になっていることへの責任を自分も分かち持とうとする。本来は自分に責任のないことに対してまで、責任の範囲を広げてしまう。」(226頁)

 一方、レヴィナスはこう書いている。

「自分のなしたこと以上の責任を負うという、この有責性の過剰が生起する場所が宇宙のどこかにありうるということ、それがおそらく畢竟するところ、『私』の定義なのである。」(Lévinas, Totalité et Infini, Martinus Nijhof, 1961, p.222)

 自分が犯していない罪過についてさえ有責性を感じることが「できる」というこの逆説的な権能のうちに主体性は棲まっている。これが主体性であり「善性」である。レヴィナスはそう述べた。この一行にレヴィナスの哲学は集約されていると言っても過言ではない(少し過言だが)。
 平川君はこのレヴィナスの哲学を独特の仕方で血肉化している。たぶん平川君はレヴィナスの『全体性と無限』も『タルムード四講話』も読んでいないと思う。でも、彼自身の具体的な、市井の人として経験から、レヴィナスの命題とほとんど同じ結論に達した。
 僕は「レヴィナスと同じようなことを言っているからすごい」と言いたいわけではない。レヴィナスもまた、彼自身の生身の、切れば血の出るような経験から、有責性についての哲学を手作りしたのである。それが平川君の哲学と符合した。それだけ彼らの知見には普遍性があるということなのである。