豊かな社会とは

2023-05-01 lundi

『診療研究』というコアな雑誌に標記のような原稿を寄稿した。いつもの話ではあるけれども、こういうことは何度繰り返し語っても足りないのである。

 これまでずいぶん長く生きてきたけれども、日本の国力がこれほど低下した時期は過去になかった。パンデミック、異常気象、ウクライナ戦争、人口減...など地球的規模での大きな問題が目白押しのところに、国内では、政治とメディアの劣化がとめどなく進行し、経済は衰退局面を転がり落ち、国民生活の最後の支えである教育と医療も気息奄々というありさまである。どこにも希望が見られない。
 それでも気を取り直して、よくよく見れば、日本の国力にはまだまだ余力がある。列島には豊かな山河がある。温帯モンスーンの温和な気候と肥沃な土壌と豊かな水資源に恵まれ、植物相・動物相は多様で、温泉や桜や紅葉の名所や神社仏閣のような観光資源はいたるところにあり、食文化もエンターテインメントも伝統芸能も世界標準を超えるものがいくつもある。「国力そのもの」には十分な厚みがある。これを国民みんなが大切に使い延ばし、守り育ててゆけば、あと100年くらいは「豊かで暮らしやすい国」として存続させることは難しいことではない。
 だが、まことに不思議なことだが、そういう穏やかな未来図を描く人は、政官財にはいない。メディアにもいないし、学術の世界でもまず見かけない。見かけるのは目を血走らせて「起死回生の大博打」をねらっている人たちばかりである。防衛費を倍増させて、「いつでも戦争ができる国」にしようと鼻息の荒い人たちがおり、五輪だ、万博だ、カジノだ、リニア新幹線だと「これに成功すれば、経済波及効果は何兆円」というような「取らぬ狸の皮算用」に夢中になっている人たちがおり、「生産性のないやつは生きている価値がない」と揚言する学者やコメンテイターがいる。
 そして、一方には、低賃金に喘ぎ、ブルシットジョブで疲れ切り、ハラスメントでメンタルを壊されて、暗い顔をして職場に通う労働者たちがいる。どうして「豊かなはずの国」で、人々はこんなに「貧乏くさい」のだろうか。それについて考えてみる。
 
 貧乏と「貧乏くさい」は違う。まずそのことを明らかにしておきたい。
 貧乏というのはクールでリアルな経済状態のことである。精神状態とは直接にはかかわりがない。だから、貧乏でも心豊かに暮らすことはできる。
 私が子どもの頃の、関川夏央が「共和的な貧しさ」と呼んだ1950年代の日本社会はそうだった。長い戦争が終わり、もう徴兵されることも空襲を逃げ回ることもなくなり、憲兵や特高や隣組に怯えることもなくなった社会で、大人たちは貧しいけれども、心安らかに日々の生業に励んでいた。家はあばら家で、服は着たきりで、ご飯はおかず一品だけで、遊び道具も何もなかったけれど、私にとってはまことに愉快な子ども時代だった。
 近所の人たちもみな貧しく、それゆえ助け合って暮らしていた。食べ物を貸し借りし、質屋の使い方を教え合い、小さい子どもを預かり合った。まだ行政が十分に機能していなかったから、防犯も防災も公衆衛生も、町内で協力して何とかするしかなかった。冬の夜は大人たちが「火の用心」と言いながら、町内を巡回し、日曜の朝は総出で「どぶさらい」をした。子どもたちはさまざまな工夫を凝らして遊びを発明して、日が暮れるまで路地や神社の境内で時を忘れて遊び続けた。貧乏だったけれど、子ども時代の私はまったく不幸ではなかった。
 それでも、ときどきは玩具であったりお菓子であったり、何か買って欲しいものがある。母親に「買って」と一応言ってはみるが、いつも「ダメ」と即答された。「どうして?」と訊くといつも「うちは貧乏だから」という答えが返って来た。「どうして貧乏なの?」と重ねて訊くと「戦争に敗けたから」で対話は終わった。それ以上は訊いても仕方がないことは子どもにもわかった。1950年代60年代の日本人は貧乏だったけれど、「貧乏くさく」はなかった。

 でも、ある時期から日本人は「貧乏くさく」なった。「貧乏くさい」というのは経済状態のことではなくて、心の貧しさのことである。他人の富裕を羨むのもそうだし、自分のわずかばかりの財産をしっかり退蔵して、誰とも分かち合わないのもそうだ。何よりも「公共財」としてみんなが共有する富から自分の「割り前」をできるだけ多めに切り取ろうとするふるまいが最も「貧乏くさい」。
 皮肉なことだが、1964年の東京オリンピックの頃から庶民の生活が豊かになるにつれて、人々はしだいに「貧乏くさく」なった。他人より早く高度経済成長の恩沢に与り、冷蔵庫やテレビや自家用車を所有するようになった家はしばしば家の周りにブロック塀をめぐらせた。無意識のことだったのだろうけれど、近所の人の「嫉妬のまなざし」「邪眼」を遮ろうとしたのだ。それまで簡単に出入りしていた近所の家の大人たちが微妙に迷惑顔をするようになった。米やおかずの貸し借りもしなくなった。そして、郊外にもっとましな家を建てられるようになった人から順に町内を脱出して、「貧しい共和政」はわりとあっけなく消滅した。小銭ができると人は「貧乏くさく」なり、相互扶助的なマインドが消え去り、共同体は空洞化するということを私はその時に学んだ。

 私が十代二十代の頃は高度成長が長く続き、三十代にはバブル経済を経験した。みんなが金儲けに夢中になっていた時代であり、日本人が主観的には世界一リッチだった時代である。日本人はマンハッタンの摩天楼を買い、ハリウッド映画を買い、フランスのシャトーを買い、イタリアのワイナリーを買い、ハワイのコンドミアムを買い、ゴールドコーストやコスタ・デル・ソルにリタイアした富裕層のため別荘地を買った。値札がついているものなら何でも買えると思って、人々は多幸感に浸っていた。
 この時の日本人はそれほど「貧乏くさく」はなかった。自分自身の「パイ」が増大し続けている時には、他人のパイの取り分のことはあまり気にならないのだ。欲望は日々亢進していたが、嫉妬や羨望に身を焦がし、富裕な他者の没落を願ったりするというようなことは(あまり)なかった。私のような何の生産性も社会的有用性もない研究をしている学者のところにも、ずいぶん潤沢に研究費が回って来た。不動産や株の売り買いで忙しいビジネスマンの友人たちは、給料だけでつつましく暮らしている私を見て、「金の稼ぎ方を知らないやつだ」と嘲笑してはいたけれど、「まあ、好きなことしていればいいさ。こちらの金儲けの邪魔にはならないんだから」と放っておいてくれた。
 でも、そんな気楽な時代も不意に終わった。自分のパイの取り分が減り出すと、急に人々は貧乏くさくなり、他人の取り分についてあれこれ言い出した。「働きもないのに取り過ぎているやつがいる。社会的有用性に基づいて、資源は傾斜配分されるべきだ」と。そうやう理屈をこねながら日本人はどんどん貧乏くさくなっていった。公務員の既得権益を剥がせとか、生活保護のフリーライダーを許すなとか、生産性のない人間は去れとかいう言葉づかいは、私の記憶するかぎり、この時期にはじめて登場したものである。それまでは聞いたことがなかった。

 21世紀に入って四半世紀近く経つ。今の若い人に「日本は豊かな国ですか、貧しい国ですか?」と訊ねたら、たぶん半数以上が「貧しい国です」と答えるだろう。GDPはかろうじて世界三位だが、一人当たりGDPは28位(2022年)。シンガポール、香港の後塵を拝しており、韓国・台湾に抜かれるのは時間の問題である。軍事力だけが例外的に突出して高いが、それ以外の「国力指標」は全面的に下がり続けている。平均給与はOECD28か国中22位、ジェンダーギャップ指数は146か国中116位、報道の自由度ランキングは180か国中71位。貧しく、不自由で、生きづらい国なのだ。
 数年前に米国の雑誌が日本の大学の衰退について特集を組んだことがあった。その記事の中で、今の日本の大学をどう思うか、教員学生にインタビューをした時に、彼らが実情を叙した時に用いたのは、「罠にはまった」(trapped)、「息苦しい」(suffocating)、「身動きできない」(stuck)といういずれも身体的な苦しみを表わす形容詞だった。たぶんこれは今の日本社会を生きている多くの人たちに共通する実感なのだろうと思った。

 現代日本の際立った特徴は富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである。富裕層に属し、権力の近くにいる人たちは、それをもっぱら「公共財を切り取って私有財産に付け替える」権利、「公権力を私用に流用する権利」を付与されたことだと解釈している。公的な事業に投じるべき税金を「中抜き」して、公金を私物化することに官民あげてこれほど熱心になったことは私の知る限り過去にない。
 税金を集め、その使い道を決める人たちが、公金を私財に付け替えることを「本務」としているさまを形容するのに「貧乏くさい」という言葉以上に適切なものはあるまい。今の日本では「社会的上昇を遂げる」ということが「より貧乏くさくなること」を意味するのである。いや、ほんとうにそうなのだ。現代日本の辞書では、「権力者」というのは「公権力を私用に使い、公共財を私物化できる人」のことなのである。そういう身分になることを目標にして、人々が日々額に汗して努力している以上、国があげて「貧乏くさく」なるのも当然である。

 私はもうこの貧乏くささにうんざりしている。貧しくてもいい。「貧乏くさくない社会」に暮らしたい。
 それなら、どういう社会が「貧乏くさく」ないのか。とりあえず私が敗戦後の日本で見聞した「共和的な町内」はそうだった。他人の富裕を羨まない、弱者を見捨てない、私財を退蔵せずに分かち合う、公共財ができるだけ豊かになるように努力する。言ってみればそれだけのことである。現に大人たちがそのようにふるまい、それが「ふつう」なのだと子どもたちが思うなら、その社会は、たとえ物質的に貧しくても、「貧乏くさく」はない。私はできるならそのような社会に暮らしたい。

「公共財」を英語では「コモン(common)」という。原義は「入会地・共有地」のことである。囲いのない森や草原で、村落共同体が共有し、共同管理する。村人はそこで家畜を放牧したり、魚を釣ったり、鳥獣を狩ったり、果樹を摘んだりする。個人の私財が乏しい村人でも、豊かなコモンを持つ共同体に属していれば、豊かな生活を送ることができる。
 ヨーロッパでは中世からどの国でも「コモン」に類するものがあった。代表的なのはフランスの「コミューン(commune)」で、これはカトリックの教区が基本となる行政単位で、構成員100名くらいの小さなコミューンからマルセイユのような構成員100万人というサイズのコミューンまでさまざまなものがあるが、どれも行政単位としてのステイタスは等しい。コミューンの中心には教会があり、広場をはさんでその向いには市庁舎があり、市議会が開かれ、市長が選ばれる。
 ドイツには古代から中世まで「マルク協同体(Markgenossenschaft)」というものがあった。土地は部族共同体で共同所有され、生産方式も強く規制されており、土地の売買は禁止され、収穫物は基本的に共同体内で消費され、木材や肉やワインの共同体外への持ち出しも禁止されていた。土地は誰のものでもなく、それゆえ収穫物が誰かの私財になることもなく、その結果、支配―被支配という関係は生じなかった。晩年のマルクスがあるべき「コミュニズム(コミューン主義)」社会を思い描いた時に、その構想の素材はゲルマンのマルク協同体にあったと斎藤幸平は論じている。(『人新世の「資本論」』)

「豊か」というのは、私財についてではなく、公共財についてのみ用いられる形容詞であるべきだと私は思う。仮にメンバーのうちの誰かが天文学的な富を私有して、豪奢な消費活動をしていても、誰でもがアクセスできる「コモン」が貧弱であるなら、その集団を「豊かな共同体」と呼ぶことはできない。
 身分や財産や個人的な能力にかかわらず、メンバーの誰もが等しく「コモン」からの贈り物を享受できること、それが本質的な意味での「豊かさ」ということだ。マルクスはそう考えていたし、私もそう考える。私財の増大よりも、メンバー全員を養うことができるほどにコモンが豊かなものになることを優先的に気づかう態度のことを「コミュニズム」と呼ぶのだと私は思う。個人的な定義だから一般性は要求しないが、それでよいはずである。

 貧富は個人について言うものではない。共同体について言うものである私たちにとってほんとうに死活的に重要なのは、われわれの社会内にどれほど豊かな個人がいるかではなく、われわれの社会がどれほど豊かなコモンを共有しているかである。ある社会が豊かであるか貧しいかを決定するのは、リソースの絶対量ではない。その集団の所有する富のうちのどれほどが「コモン」として全員に開放されているかである。この定義に従うなら、日本だけでなく、いまの世界はひどく貧しい。世界でもっとも裕福な8人の資産総額は世界人口のうち所得の低い半分に当たる37億人の資産総額と等しい。これを「豊かな世界」と呼ぶことに私は同意しない。

 だが、そのことに気づいて、もう一度日本を「豊かな」社会にしようという努力を始めている人たちがいる。それは別にGDPをどうやって押し上げるかという話ではない。どうやってもう一度「コモン」を豊かにするかということである。
 最近、私の周囲でも、私財を投じて「みんなが使える公共の場」を立ち上げている人たちをよく見かけるようになった。私自身も10年ほど前に自分で神戸に凱風館という道場を建てた。武道の稽古だけではなく、能舞台としても使えるように設計してもらったので、畳の上に座卓を並べてゼミをしたり、シンポジウムをしたり、映画の上映会や浪曲、落語、義太夫などの公演もしている。ささやかではあるけれども、これも一つの「コモン」だと私は思っている。
 そういうささやかなコモンを日本中で多くの人たちが今同時多発的・自然発生的に手作りしている。そういう人たちの活動は別に聴き耳を立てなくても、自然に耳に入るし、思わぬところで出会う。そして、気がつけばずいぶん広がりのあるネットワークがかたちづくられている。
 この手作りの「コミュニズム」はかつてのソ連や中国の共産主義と本質的なところでまったく違うものだと思う。というのは、この新しい「コミュニスト」たちは富裕者や社会的強者に向かって「公共のために私財を供出しろ。公共のために私権の制限を受け入れろ」とは強制しないからである。公共をかたちづくるためにまず身を削るのは「おまえ」ではないし「やつら」でもない。それは「私」である。
 そう思い切ることからしか豊かな社会は生まれない。同意してくれる人はまだ少ないけれど、私はそう確信している。
(2023年5月10日『診療研究587号』)